「自覚する」ことの意味(1)
以前にもまして思うのは、「自覚する」ことの重要さです。
「自覚するだけで、人生が変わるのなら、努力するけど、そんなことで変わるわけがない」
と思っていませんか。
ところが、無意識の世界を探究すればするほど、
「自覚できれば、それだけで、人生は変わる」
と、ますます確信とも言える気持ちを抱いてしまいます。
どうして、それだけで人生が変わってしまうのか。
それは、「自覚する」というのは、自分を愛することだからです。
まず、「自覚する」には、自分中心でなければできません。
人のことを気にしたり、周囲のことで思い煩っていれば、自分をみることができませんので、「自覚する」ことができません。
「自覚する」というのは、しっかりと自分を認識することです。
にもかかわらず、他者中心になって他者に意識を向けてしまうのは、どうしてでしょうか。
無論それにも、メリットがあります。
それは、「自分を責めないで済む」というメリットです。
例えば、罪悪感が強ければ、「自分のことを知る」ことは、怖くてしかたないでしょう。罪悪感を抱く材料は、無数にありますから、どれだけでも自分を責めることができます。
それを苦痛に感じれば、他者を見ていたほうが、苦しまないで済みます。
ところが、実際には、そうやって「自覚する」ことを避けるから、罪悪感が増えていくことに気づけません。そのために、いっそう、自分から目を逸らせたくなる、という悪循環の中に入っています。
例えば、私たちは、無自覚の状態でいるとき、知らずのうちに「夥しい数の罪悪感」を感じています。
その中には、当然、まったく必要の無い罪悪感もあります。
自分に害をもたらす罪悪感もあります。
自覚することができれば、自分のその「罪悪感」が必要なものであるかの判断がつきます。
しっかりと刻んでいただきたいのですが、罪悪感というのは、「幸せになってはいけない」と同義語です。
これだけで、
「私は、不幸を望みます。お金は、いりません。お金が入っても、私のためには遣いませんので差し上げます」
と言っているようなものです。
それに気づいて、無用の罪悪感を捨てていけば、かなり心が軽くなるのではないでしょうか。 (つづく)