「すみません」という言い方

 あるサイトで、
「すみません」
 と言わないほうがいいという記事を眼にしたことがあります。

 平素、多くの人たちが、無造作に「すみません」という言葉を頻繁に用いています。
 コミュニケーションを円滑にするためには便利な言葉です。

 ただ、それをどんな意識で使用しているのか。
 それが問題です。

 言葉そのものが、お詫びの言葉であるために、つい、卑屈な言い方になりがちです。

 言う必要がない場面で連発する人がいます。
「ありがとう」というべきところで、「すみません」と言う人もいます。

 そのたびに、卑屈な気持ちになってしまうとしたら、確かに、言わないほうがいいでしょう。

 とはいえ、「言わないほうがいい」というだけの提言では、乱暴過ぎます。

 実はその「すみません」も、意識によって異なります。

 卑屈な気持ちを抱きながら「すみません」と言えば、謝っても「すまない」気持ちが残るでしょう。
 気持ちが残れば、すっきりすることがなく、どんなに謝っても、「自分が悪い」という罪悪感を持ち続けることになります。

 人によっては、そんな罪悪感を抱きつづけることが、謝罪であったり贖罪であると信じている人もいるかもしれません。

 謝罪するというのは、「責任をとる」ということです。

 けれども、罪悪感を抱き続ける「すみません」では、それで終わってしまいます。

 その責任をとる、あるいは償う必要がある場合でも、責任をとるまでに至らずに、罪悪感を抱き続けるだけ、ということになってしまうでしょう。

 では、こんな「すみません」だったら、どうでしょうか。
 それは、罪悪感を覚えないために、あるいは、卑屈な気持ちを抱かないために、謝罪する。

 こんな視点から謝罪することができれば、「しっかりと、向き合って謝罪する」ことができるでしょう。

「卑屈にならないために、平素の自分にもどるために、謝罪しよう」
 こんな気持ちで、心から「すみません」と言うことができれば、そのほうが、しっかりと「責任をとるため行動しよう」という気持ちになれるでしょう。

 こんな意識での「すみません」であれば、すみませんという言葉の重みを知るために、むやみやたらにそれを連発することはなくなるでしょうし、また、謝罪することで、逆に自分を救うことができるので、真摯に謝ることができるのではないでしょうか。