「最後まで頑張る」よりも「一服する」意識 

「最後まで頑張る」よりも「一服する」意識 

 日頃から頑張る人は、常に「最後まで頑張ろう」とします。

 この発想は、「完璧主義、完全主義、貫徹主義」ということとも繋がっています。

 けれども、そんな「最後まで」は、「やりたい」という欲求よりも、
「しなければならない」という思考に囚われていたり、自分の「理想」をイメージしてそれを目指していることがほとんどではないでしょうか。

 言うまでもなくこれは、「ゼロか100」の発想です。

 そのために、全くしないか、最後まで完全にやるかのどちらかになります。

 そうであるために、頭の中の完璧や理想とは裏腹に、
「早くしなければならない。もう、タイムリミットだから、早く」
 などと自分をせき立てつつも、実際には、なかなか、取りかかろうとはしないでしょう。

 なぜなら、取りかかった最後、途中でやめることができなくなるからです。
 どんなに途中でやめたくなっても、取りかかったら、終わるまでやらないと気が済みませんn。

 もちろん、そんな完璧や理想に拘泥していれば、最初から、全くしないか、途中挫折してしまう可能性のほうが高いでしょう。

 そんな意識は、例えば、こんなところにも表れます。

 物事を集中してやっているとき、疲れて休憩したくなったとしても、完璧や理想を目指してしまう人は、
「これを最後まで頑張ってから、休憩しよう」
 と“考える”でしょう。

 完璧や理想には「途中でやめる」がありません。だから、最後までやってから、
「ああ、やっと終わった。これで、ようやく、休憩できるぞ」
 となります。

 自分の欲求や気持ちや感情を大事にできる人は、「最後まで」という思考をするよりも、自分の“疲れた状態”のほうに焦点が当たります。

 そのために、
「少し疲れたきたなあ。じゃあ、ここで休憩しよう」
 と、自分の「疲れた」という状態を優先することができます。

「一服する」という言葉があります。
 これは、最後までやって終わったから一服するというよりは、途中で、疲れたら息抜きのために、一服する、というイメージです。

 一服した後は、また、続けることができます。

 場合によっては、
「今日は疲れたので、もう、やめよう、明日にしよう」
 と、途中でやめることもできるでしょう。

 物事は、継続する力がなければ、完成させることはできません。

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