こんな小さな場面でも自分がわかる

こんな小さな場面でも自分がわかる

 大上段に構えて、自分のことを知ろうとすることに心を砕くことはありません。

 自分を知ろうとすることに四苦八苦してしまう人たちの多くが、自分や相手の性格なり心なりを、言葉でまとめようとします。

 曰く、
「私は、あまり気にしないタイプなので、誤解を受けやすいのです」
「彼は、家庭環境であまり愛情をもらえなかったので、絶えず私がそばにいないと、安心できないようなのです」
「妻は、理論的な話が苦手なので、話し合おうとしても、すぐ感情的になって、怒り出すんです」
 などなど。

 けれども、こんなふうに「思考」や「言葉」でまとめてしまうと、その問題が、とても大きなことのように感じるし、また、どこから手をつけていいか、皆目見当がつかなくなってしまうでしょう。

 だから、常に自分中心では、「具体的に」ということを重視するのです。

 その「具体的に」は、思考ではありません。

 例えば、それは、このような場面です。

 いつものように会社へと向かうバスに乗っていると、途中のバス停で、若い女性が乗り込んできたとき、料金箱の前で、後続の人たちを遮るような位置で、立ち往生してしまいました。

 しきりにバッグを漁っているので、カードか財布を探しているのでしょう。

 なかなか、それが見つからず、普通に人が乗り込んで流れていく時間から比べると、何倍もの時間がそこで費やされています。

 運が悪いことに、その日は、後に続く乗客が多く、バスの外を眺める
と、
「何が起こっているのだ!」
 という表情をしている人もいます。

 彼女は、客を待たせてしまっているという焦りもあってか、なかなか、目当てのものが出てこないようなのです。

 やっと財布が出てきて、料金を入れたときには、その様子を見ていた人たちも、なかなかバスが出発しないので、苛立ち気味になっていました。

 このとき彼女が、もう数歩、バスの奥に乗り込んで、乗る人たちの道をふさがずに、一言、
「お先にどうぞ」
 と言うことができれば、ゆっくりと財布を探すことができたでしょう。

 みんなに迷惑をかけると思うと、いっそう焦るために、どう判断し、どう行動していいか、わからなくなってしまうのは、無理もありません。

 けれども、もし自分が、その彼女の立場だとしたら、こんな小さな場面でも、自分にとっては、大きな意味があります。

 自分がどんな行動をとるか。

 それは、「自分の心の自由度」とも関係があります。

 日頃から、思考に囚われていたり、心が縛られている人ほど、突発的なことが起こると、フリーズしてしまいます。

 心の自由度という点においては、日頃から、自分に対して「私の自由」を認めていないと、
「バスに乗るときは、料金を払わなければならない」
 と、マニュアル通りの方法に従って動こうとするでしょう。

 仮に、自分がその場所を移動すればいいのだと思いついたとしても、
「お先にどうぞ」
 という言葉が思いつかないかもしれません。

 あるいは、争いにならない言い方を知らなければ、傷つくことを恐れるために、何も言うことができないでしょう。

 たったこんな小さな場面でも、
・すぐに別のところに移動するという、判断力。
・それを「言葉で伝える」。
 と、高度なスキルを要求されます。

 こんな小さな場面でも、これは彼女の言動パターンとなっています。

 一つの場面でこんなパターンで動いているとしたら、他の多くの場面でも、同じことを繰り返しているでしょう。

 こんなふうに、具体的な場面に気づいてこそ、自分を変えていくためのテーマやヒントを発見できるのです。

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