自分が傷ついていても気づかない(1)
問題や悩みを抱えていると、それを解決するには、
「自分が変わらなければならない」と思う人が少なくないでしょう。
「相手を変えることはできない」ということは、
どこにおいても言われている言葉ではないでしょうか。
だから、
「相手を変えるよりも、自分が変えよう」
と。
私自身も、
「相手を変えるよりも、自分が変わったほうが早い。自分が変われば、
その結果として、相手も変わらざるを得ない。
なぜなら、人の関係は、すべて、『関係性』で起こっているからです」
という言い方を、ずっとしてきました。
ただ、自分中心で言うところの、この「自分が変わった方が早い」というのは、
多くの人が認識している意味とは、根本的に違うかもしれません。
言葉というのは、実にあやふやです。
私たちは、それぞれに自分固有のとらえ方、見方をしています。
固有の捉え方、見方は、形にはっきりと見えないために、その意味が、お互いに、
どこまで一致しているのかどうかを、知ることができません。
例えば、
「どんな家族を理想としていますか」
と尋ねれば、
「お互いに、一員がそれぞれにわかり合い、いたわり合い、助け合うのが家族です」
といった模範的な返事をすることができるでしょう。
けれども実際には、そんな理想を家族に求めれば、
「争い合ってばかりいる」家族となっているかもしれません。
その結果、理想のあり方はわかるけれども、
「実際には、どうしたらいいか、わからない」
ということが起こるでしょう。
その理由をどんなに考えても、自分が経験していないことは、知りようがありません。
実際に家庭の中で「争い合う」場面が展開していれば、
「争い合う」方法は体験的に知ることができます。
しかし、家庭の中で「わかり合う」場面を目撃したことがなければ、
「わかり合う」方法を学習することはできません。
どんなに「理想の家庭」のイメージを抱くことができたとしても、
「わかり合う」方法を知らなければ、それを実現させるのは難しいでしょう。
これと同様に、「自分が変わる」という意味の捉え方にも、
勘違いがあるように思います。