自分を無視して傷つけている 

今回も、たびたび「どうすればいいんでしょうか」
と聞いてしまう人たちの話です。

こんな問いを口癖のように言ってしまうのは、常に、頭の中で、
「どうすればいいんだろうか、どうすればいいんだろうか」
と呟いている思考タイプの人たちです。

思考タイプの人たちは、どうしても、思考に走るために、
感情や自分の気持ちを感じるというところに焦点が当たりません。

しかも思考で物事を捉えて解決しようとするために、
「自分を含めた具体的な場面」を観ることができていません。

ある一つの出来事が起こっているとき、
それを自分が問題と感じるとしたら、それは、自分自身の問題です。
「当たり前ですよ」
と、思考や言葉がすぐに出てきた人はいませんか。

それがすなわち「思考に囚われている」ということです。

そんな思考をしているとき、その問題の中に、
「自分が、含まれている」
ということに気づいていません。

「あの人は、自分の能力をひけらかしている」
「あの人は、人を批判してばっかりいる」
「あの人は、自分の自慢話ばっかりする」

そんな不満を自分が抱いてしまうとしたら、どうしてでしょうか。

こんなとき、「思考タイプの人」は、決まって、こう言います。
「どうすれば、いいんでしょうか」

例えばもし、あなたが、そんな不満を抱いている立場だとしたら、
どうして、あなたは、
自分の能力をひけらかす。
人を批判する。
自分の自慢話をする。
などと、不満を抱いてしまうのでしょうか。

では、そんな人たちの話を聞いているのは誰かですか?
そんな人たちの話し相手になって、不快な話を聞いてあげているのは、
誰でしょうか。

それは、あなた自身ですね。

あなたが話し相手になるから、相手が、
あなたにとって不快に感じられる話をするのです。

自分が話し相手にならなかったら、それを聞くことはありません。
少なくとも、話す分量的には、かなり減るはずです。

「でも、その人は、ほかの人と話しをしているときでも、そうです」
と言いたくなるとしたら、
それは「相手の人生や生き方」を認めていないからだと言えるでしょう。

そうであれば、これも、自分自身の問題となります。

全く自分と関係ない人やまったく付き合いのない人が、
自分とは別の人と話をしていて、その相手に、自慢しようが、
批判しようが、自分をひけらかそうが、それは自分にとって、
まったく関係のないことです。

それに腹を立てるとしたら、そんな自分こそが、
他者を否定していると言えるでしょう。

そんな自分にとっては、「相手を認める」ことが、
自分のテーマだと言えるでしょう。

こんなふうに、自分のことに無関心でいると、
自分自身が何をしているかが、全く見えません。

自分を無視していれば、自分が納得する解決策も見いだせないでしょう。

こんなふうに、自分を無視して、
「どうしたらいいんでしょうか」
と、問い続けていても、自分を傷つけるだけなのです。