他者中心の人たち(2) 

(2)

「相手を見張っていないと、傷つけられる。攻撃される」 
と、険しい表情をして荒々しく言う人がいます。 

実は、そうやって「他者に対して」自分が抱く思いのほうが、重要です。

他者に対してどう思っているのか。

大きく分ければ、「敵」と思っているのか「味方」と思っているのか。

競争社会の中で生活していると、どうしても、
他者を「敵・味方」で分けてしまいがちです。

自分では、「敵・味方」の意識がないと思う人も
いるかもしれませんが、
他者と勝ち負けを競っていれば、それが「敵・味方」
でみているということです。

「いいえ、そんなことはありません。私たち家族は、
とても親しいんです」
と言う人がいます。

これだけみると、
「敵・味方」の意識がないように思うかもしれません。
けれども、これも、本当のところはわかりません。

例えば、それは、「家族や血肉を分けた親子」であれば、味方。
まったく赤の他人であれば、
敵というふうに捉えているのかもしれません。

しかも、その家族であっても、
「自分に黙って服従しているときは、味方」
という支配性が強ければ、肉親であっても、
逆らえば敵と転じる可能性もあるでしょう。

そんなことになれば、肉親であるからこそ、赤の他人以上に執着して、
憎み合うほどになってしまうでしょう。

こんな敵・味方の意識であれば、自分が自覚しやすいと思います。

この敵・味方の意識というのは、
決して「相手に対する攻撃性」だけではありません。

自分が「攻撃される」という意識もまた、敵・味方の意識です。

一般的には、こちらの意識のほうがはるかに多いでしょう。

まだ、具体的に攻撃されているわけでもない。
対立しているわけでもない。
にもかかわらず、すでに意識だけは「攻撃される」
と思って身構えている。

それはまるで、
「あなたはいずれ私を攻撃するだろうから、
それに備えて反撃の準備をしています。
攻撃されても反撃できるように準備しています」
というメッセージを、相手に送っているようなものです。

まさにそれは、防衛という「攻撃」です。

あからさまな攻撃性だけでなく、そんな身構える姿勢も、
相手に、何らかのネガティブンな感情を引き起こします。

自分自身が、相手に、あるいは人に対して、
好意的な意識をもっているのか、
警戒すべき相手と認識しているか。自分の意識の抱き方が、
相手に影響を与えています。

お互いに、「相手が自分をどう思っているのか」。

ものを言わずとも、そんな意識を、
私たちはお互いにキャッチし合っています。

それぞれに、相手の意識を「自分の感じ方」でキャッチするのです。

仮にもし、自分自身が相手や人に対して、
否定的な意識を抱いているとしたら、
相手が自分に否定的なのでなく、
自分自身が相手に否定的であるために、
相手が、「自分の中にある、そんな他者を否定する意識」
をキャッチして、
何らかの否定的な反応を示した、ということもあるのです。

多くの人が「相手に、傷つけられた」という言い方をします。

自分が相手に何もしてないという自覚があれば、
そう言いたくなるでしょう。

けれども実際には何もしていなくても、問題が起こる前に、
「相手を否定する」メッセージを、自分が相手に対して、
送っていたということもあり得るのです。

それは、争いの前哨戦として、
「相手に挑戦状を叩きつけている」ようなものです。

自覚すれば、自分が「相手に対して、
好意的な気持ちを抱いているか、そうでないか」は、わかります。

自分が無意識に、他者に対して「競う気持ち」や
「他者を否定する気持ち」
があるだけで、相手は「攻撃されている」と
感じる場合も少なくないのです。

自分の顔や態度が、どんな印象を与えているか。残念ながら、
誰も、自分で自分の顔をみることはできません。

最初に、意識で喧嘩をふっかける。
実戦のきっかけをつくる。
多くの人たちが、していることです。

だからこそ、自分を「感じとる」ことが不可欠なのです。