自分の言動で自分を傷つけている (2)

原型は、単純に「相手とどういう形で関わっていくか」ということです。
私たちは、他の人間とのつながりを一切、断ち切ることはできません。

生命の危機感からくる孤独への恐れもありますが、
「心」という点からも人とのつながりを求めているのが、
私たちなのです。

ですから、私たちは、孤独は怖い。人と一緒にいて安心する、
という側面を否定することはできません。

問題なのは、どういう関わり方をするか、ということです。
この関わり方を、二つに大別するとしれば、
「否定的な関係を築いて関わるか、
肯定的な関係を築いて関わるか」のどちらかです。

不定期メールでも述べている支配性の強い脳幹タイプの人は、
強そうな見かけとは異なって、人一倍孤独を恐れています。

その人一倍孤独を恐れるというのは、言い方を変えれば
「強い依存性」です。

権力者として君臨しているときは、他者を乱暴に扱っても、
誰かが従ってくれます。

そこでどんなに暴君ぶりを発揮しても
人は服従すると錯覚するために、
自分が「孤独を恐れている」という意識は、自覚にのぼりません。

人が離れていってはじめて、孤独であることの恐怖心が、
強く自覚されるのです。

この「孤独になることへの恐怖心」は、誰でも持っていて、
普段は、周囲に人がいるから自覚されていないだけなのです。

そんな恐怖心から、何が何でも「人と関わりたい」と望みます。

その方法の一つが、「否定的な関係を築いて絡み合う」
ということなのです。

人と「否定的な関わり方」しか学んでいない人は、
どんな場合でも「否定的な関わり方」を捨てることができません。

なぜなら、それを捨ててしまうと、孤独になると、
無意識に知っているからです。

多くの人が、「否定的な関わり方」で、人と関わっています。
簡単に言うと、「争う」という方法で、人に関わっています。

けれども、そうやって、絡み合っていればいるほど、
孤独感から目をそらすことはできるでしょうが、
同時に、自分をどんどん傷つけていきます。

自分を傷つければ、いっそう、敵意識が増幅して、
いっそう誰かに依存していたくなるでしょう。

多くの人が、つい「相手の言葉」に反応して、
「言った言わない。正しい正しくない」で、
攻撃を激化させていきます。

けれども、その根っこには、「孤独になるのが怖い」
という意識が基盤にあって、
だから「否定的な関わり方であっても、やめることができない」
ということが真相なのです。

まずは、ほんとうにそうなのかを、自分に問うてみてください。

自分が、自分の心に気づくことは、
「自分を愛するための基本」です。

そうやって、お互いの言葉に反応し合って、
無為に争っていくことが、
いかに自分を傷つけているか、ということも含めて。

自覚できれば、相手にムキになって勝とうとする意識を、
少し減らすことができるでしょう。

相手と「否定的に関わること」で、
自分の心が満たされることはない。

それに気づけば、相手の言葉に反応したり、争いを仕掛け合って
「否定的な関係を築く」ことを、少しずつでも、
やめていこうと決断できるのではないでしょうか。