「丁寧に」動くことも、すぐには実行できない 

いまや、万事においてスピードの時代です。

その中で「ゆっくり、丁寧に」などと言えば、
「そんな悠長なことをしていたら、間に合わないよ。今だって、
どんなに頑張っても追いつかないんだから」
と言いたくなる人が少なくないでしょう。

けれども、その性急さが、
さまざまなミスやトラブルを引き起こしています。

心が焦っているから、行動も焦る。そのために、
注意散漫になってかえってミスが増える。
物事を、冷静に落ち着いて考えられないために、
誤った判断をしやすくなる。

無意識の視点から見ると、焦っているから、
「焦ってしまうものを選択する」
ために、結果として焦ってしまう状況に陥る、
と言うこともできます。

実際には、意識が先にあって、
その意識から物事を選択していくからです。

では、そうやって忙(せわ)しくいきている人たちが、実際に、
「そうか、じゃあ、ゆっくりと丁寧にやっていこう」
と思ったとしても、
すぐに“ゆっくり丁寧に”することはできないでしょう。

なぜなら、それは、単に「ゆっくり、丁寧に」という動作になるのは、
その根底に、「焦る」意識とはまったく異なる意識があるからです。

この「ゆっくり、丁寧」は、ノロノロとは違います。
あるいは、恐れを抱きながらおずおずと、の「ゆっくり」とも
違います。

むしろ、この丁寧さと、ノロノロやおずおずとでは、
正反対の意識です。

例えば、ゆっくりと丁寧に生きるとしたら、
自分と向き合うことになっていきます。
それは、自分を信じる、ということです。
ですから、自分と向き合うことができない人は、
ゆっくりと丁寧に動くことができません。

また、いま自分のやっていることを、味わっています。

もちろんこれは、「味わっている状態」なので、その丁寧さを、
心地よく感じています。

その、「心地よく丁寧に」の実感の蓄積が、
うまくいく人生の土台ともなるのです。

こんなふうに、自分の根底が整っていてこそ
「ゆっくり、丁寧」にできるのですから、
簡単そうで難しいのも道理でしょう。

けれども、逆に、そんな自分を育てたければ、
この「ゆっくりと、丁寧に」を心がければいいとも言えるでしょう。