誰もが嘘をついている 

無意識の視点から言うと、誰もが「嘘をついて」います。

日頃から、自分中心心理学では、「言葉は当てにならない」と、
言い続けています。

“生”の自分と向き合うことを恐れていれば、顕在意識は、
“生”の自分を忘れさせてくれます。

例えば、自分が「親は私を愛してくれた」と信じていたければ、
自分が虐待を受けたことがあったとしても、無意識はそれを、
忘れさせてくれるでしょう。

本当は、自分の中に強い劣等感があったとしても、
「私は偉い人間だ」と思いたければ、自分でも「私は偉い人間だ」
と思い込むことができるでしょうし、尊大な振る舞いで、
それをアピールしようとするでしょう。

さらに他者がそんな自分に対して、
歯の浮くような称賛を与えてくれれば、それさえも鵜呑みにして、
次第に「私は偉い人間だ」と思い込むようになるでしょう。

自分の無意識は、「Aの姿」が自分だと知っていたとしても、
顕在意識が「Bの姿」を自分だと信じたければ、
「Aの姿」を無意識が忘れさせてくれます。

誰もが、人に嘘をつく前に、自分に嘘をついています。

もっとも、政府のように、ここまで露骨に嘘八百を並び立てられれば、
あまりの醜悪さに嫌気がさしてしまいます。

なかには、平気で嘘をつく人たちによって、
「何がなんでも、嘘をつき通したほうが得するぞ」
「すぐにばれる嘘でも、つきつづければ、逃れられる」
と学習したかもしれません。

もうすぐ選挙です。

その結果いかんでは、社会は最早、手遅れになるほど
悪化の一途をたどることになるでしょう。

ただ、話を元にもどしますと、
人は自覚して嘘をつくだけでなく、無意識的にも嘘をついています。

だからこそ、人の「言葉」は当てにならない、と言いたいのです。

それは、「人を信じるな」と言っているわけではありません。

人を信じる前に、自分を信じるのです。

その相手が、平気で嘘をつく人かどうかを見極めるには、
「相手の言葉」よりも、「相手」を感じて、
その自分の「感じ方」のほうを信じましょう。

相手の態度や表情や、仕草や雰囲気といったものを、
自分がどう感じるか。

相手に知るには、相手の言葉よりも、自分が感じる
「感じ方」のほうが、遙かに正確です。

もちろん、自分の感じ方を信じるためには、その前に、
できるだけ、「自分が、自分に嘘をつかない」ことです。