「個であり全体である」ということ

自分中心というのは、「個であり全体である」ということです。

つまり、個人の意志と、個性や独創性を尊重しながらも、
同時に、全体とも調和している、というのが、自分中心なのです。

自分中心度のレベルが高くなればなるほど、
自分を大事にしながら、他者とも調和していきます。
(そのレベルというのは、無限に高さや広さや深さがあります。
それこそ次元を超えるほどに。)

自分を愛することと、他者を愛することとは、比例します。
自分中心になればなるほど、そうなるでしょう。

なぜなら、自分も他者も同じだからです。

自分中心というのは、「選択の責任」の箇所で、
常々言っているように「私を認める。相手を認める」が
基本になっています。

相手も認めるわけですから、相手と齟齬を起こすとしたら、
その齟齬の分だけ、他者中心になっています。

他者に向けて「自己主張しなければならない」と思うと、
身構えたくなると答える人が少なくありません。

わかりやすく言えば、身構えるというのは、
相手を「敵」だと認識しているからです。

他者中心の人がやっている自己主張には、
こんな「敵意識」があります。

自分としては、「自分の感情に正直に行動している」
つもりなのかもしれません。

けれども、そんな自己主張をしているとき、決して、
自分がそうすることを心から認めて、
それを気持ちよくやってはいないはずです。

相手を退けようとする意識。相手を拒否する態度。
相手に反発したり、抵抗する態度。
そんな(相手を自分の敵だと認識している)感情を
ストレートに出してしまうのは、決して正直なのではありません。

主張することで、自分が、心から満足できるかどうか。
心がホッとするかどうか。
肉体の感覚で言うと、肉体が、力が抜けて心地良く弛緩するかどうか。

そうでなければ、その自己主張は、決して、
自分を大事にした自分中心の“自分表現”ではないでしょう。