これって自分中心ですか

以下のようなご質問をいただきました。
『自分の感情に正直に行動する。
はたからみてそれを実践している同僚がいます。
会社を休みたい時に休む。
やりたくない仕事はしない
(仕事をしなくて済むように、誰かに仕事が回るように仕向ける)。
上司から異動命令があっても頑として聞き入れない。
きっと、その人は、自分の感情に正直に行動しているのでしょう。

この同僚は、自分中心に生きているのでしょうか。
それとも、そう見えても他者中心なのでしょうか。』

そもそも『自分中心』というのは、
「できるだけ支配関係を手放していきましょう。
相手から奪わなくても、争わなくても、自分の思いや願いは、
自由自在に叶いますよ。経済的にも潤いますよ」
という視点に立っています。

争わなければ、勝たなければ、奪わなければ、うまくいかない。
成功しない。経済的にも豊かにならない。愛さえも得られない。

それは「思い込みではないか」というのが、私(石原)の持論です。
意識の法則から言うと、
「そう思い込んでいるから、そうなる」ということです。

実際のところ、
「支配関係から降りて、相手から奪わない。争わない」でいると、
どうなるかを体験している人は、ごくごく希でしょう。

けれども、場面場面では、誰もが体験していることでもあります。
うまくいく。成功する。愛を得られる。お金が入る等々。
それでも、それを信じていない……。

私を認める、相手を認める。
これも、感覚的には、レベルがあります。
本当の愛情のつもりが、同情の支配だったりと。

それを実現可能にする具体的な方法論でいえば、
自分の意志と気持ちや感情を大事にするために、
「相手からの快い同意」を得る。
その同意を得る作業そのものを、相手との愛の時間とする。

これができればできるほど、
「支配関係を手放す。争わない。勝たなくてもいい」
状態でありながら、
「うまくいく。成功する。経済的に豊かになる。
愛を感じ合える。自分を生かす事ができる」状態になるでしょう。

誰もが、そんな能力をもっています。
自分の能力を信じられないほど、他者についてあれこれと悩みます。

もちろん、理想論ですから、
それがすぐにできるとは思わないでください。
ましてや、自分中心には、無限のレベルがあります。
それこそ、その領域は、神に匹敵するものです。

何よりも、同僚がしていることに対して、
「あんな生き方をするSさんのほうが得して、できない私は損する」
という選択を自分している。心から自分を信頼していない。
こちらのほうを、私は指摘したいですね。

ここで相談者の方が、
「私は、その同僚のようなことはしないで、幸せになる」
と心から決断できれば、同僚へのこだわりは、減っていくはずです。

改めて、それを言葉にしてみてください。どんな気持ちになりますか。

そう決断して、「そうしないから、私は気持ちがいいし、
結果として得をして、幸せになっているのだ」
となってほしいものです。