行動できない(3)  

責任を過剰にとろうとすると、自分にとって、
さらに不都合なことが起こります。
それは、「自分が自分のために行動しようとする」と、
大きな罪悪感が、
自分を襲ってくる、ということです。

たとえば、
私はこれがしたい。
けれども、「私がしたいこと」を、親が反対する。

こんなとき、「親の期待に応えなければならない」
と思い込んでいたら、どうなるでしょう。
「私がしたい」ことをするたびに、罪悪感を覚えてしまうでしょう。
「私がしたい」ことをするたびに、
親を裏切っているような気持ちになるでしょう。

「私が、わたしのために楽しい、嬉しい、幸せ。自由」
と感じるたびに、
罪悪感が起こって、そんな私を責めてしまうでしょう。

もしあなたが、こんなふうに、自分のしたいことに罪悪感を抱き、
そんな自分が苦しいとしたら、無意識は、どうすると思いますか。

そうですね。

私のしたいことを、あきらめて しまえば、
罪悪感は消えるかも知れません。
自分では、あきらめていないつもりでも、罪悪感を消すために、
無意識は、「私がしたいことを、失敗する方向へと導いていく」
でしょう。

意識していても、していなくても、自分自身が、
自分を罰していくのです。

だから私は、罪悪感は、「私は幸せになっては、いけない」
と言っているも同然だと言うのです。

このように、「行動するのが恐い」という理由には、
罪悪感がおおいに関係しています。
もともと、「私が、私のために、私がしたいことを、気持ちよくする」
ことに、
罪悪感は必要ありません。
(もちろん、「選択の責任」を理解していくことは必須ですが。)

罪悪感の強い人ほど、自覚して、
「私がしたいことを、私のために、気持ちよくする」レッスンが
大切です。

罪悪感を抱いたとしても、自分のほうを優先するレッスンをする。

「相手に、悪かったかなあ。傷つけてしまったかな。
相手が、かわいそうだなあ」
と相手を見るのではなく、わたしのほうを見ましょう。

相手がかわいそう、という気持ちはひとまず、脇に置いて、
「私は、私を大事にできたよかった。
ほんとうによかった。私を大事にしたほうが、
相手のためにもなるんだ。だから、
相手より、まず、私を大事にしよう」
といった言葉を、自分に、投げかけて、
罪悪感を少なくしていくことです。