自分中心心理学の自己表現は、未知の分野 

自分中心心理学の「第一の感情」で表現するというのはまだまだ、
未知の分野だ。

「I(私は)メッセージ」で表現するというのは、心理系の定番だ。
けれども、自分中心心理学でいうところの「一人称で表現する」は
「Iメッセージ」とも微妙に異なる。

ひたすら感覚や実感を重視する。

それは、その心地よい感覚や実感が自分自身の解放を
もたらすからだし、“表現”で、
自分自身を愛することができるからである。

「自分が遣う言葉」は、「信念」の部分から
自動的にチョイスされる。

たとえば、「焦りやイライラ」が感情の基盤になっていれば、
それに即した言葉がチョイスされる。

怒りが感情の基盤になっていれば、
それに即した言葉がチョイスされる。

憎しみや恨みやあきらめや、
その他もろもろの感情が基盤になっていれば、
それに即した言葉になっていく。

相手が「怒ってないよ」と言ったとしても、
その言い方がいつも感情的になっていたら、
自覚していなくても、根っこの部分で
「いらだちや怒りを握りしめている」。

どんなに「Iメッセージ」を遣っても、
信念の部分に支配的な要素があれば、
その意識が言葉をチョイスするので、相手の心に響かない。

どんなに慎重に「Iメッセージ」で伝えたつもりでも、
その一連の言葉の中のどこかに、支配的な言語が、潜む。
聞く人は、それを敏感にキャッチする。

どこが違うのか。
それは「表現する人」も、「それを聞く人」も、
自分を中心にして、自分を感じると、わかる。

表現する人にとっては、何よりも、
自分自身が、満足できない。

満足するというのは、解放だ。
その満足は、自分に対する“愛”である。

まずは、自分自身を愛するために、
そんな言葉を遣ってみてほしい。
メールなんて、まさに、うってつけのレッスンだ。
 
自分が選ぶ言葉を、感じながら、
メール文章を作成してみてはどうだろう。
 
どれだけ、自分の心と身体が、
メールの言葉、言葉に反応しているか。
それに、気づくだろう。

できるだけ「私が心地よい文章」をめざす。
それが、自分を愛することにつながる。