難聴・メニエール症候群

あるとき、こんな見出しの記事が届いていた。
『実は、メニエール病の大きな原因の1つに
「下アゴのズレ」がある事が近年様々な研究により
わかってきました。
下アゴがズレていると必要以上の力で耳の近くの骨に
衝撃を与えるため、三半規管が正常に働かなくなります。
更に、自律神経のバランスを乱す原因にもなっています。』

具体的な内容は読んでいないけれども、これは私にとって
「やっぱり意識がそれを創っていく」と更に確信するに至る記事だった。

難聴もメニエールも耳の疾患である。
耳の疾患は、最近、とみに増えている。

耳に疾患が起こるのは、意識の視点で言うと、
耳の機能を適切に使っていないということになる。

適切に使っていないとは、どういうことだろうか。

例えば、
自分の身近な環境に、耳をふさぎたくなるような相手がいる。
けれども、家族や職場など、その相手から、
距離をとることができない状況にある。
だから心で反発しながら、聞かざるを得ない状態で耳をふさぐ等々。

耳には、相当なストレスである。

こんな環境にあるとしたら、
言いたいことがあっても、言い返すことができずに、
我慢せざるを得なくなるだろう。
我慢している状態や耐えている状態を「歯を食いしばる」と言う。
その表現通りに、我慢していると、とりわけ奥歯やアゴに力が入る。

難聴やメニエール症候群に罹る人は、意識の傾向からすると、
なべて、頑固である。

聞くのが苦痛だったのだから、「相手の話に素直に耳を傾ける」
というのはしたくない。
自分の言いたいことを、我慢している状態だったのだから、
頑固になるのも道理だと、私は思う。

こんなふうに、環境や状況が疾患をつくっていくという
関連性が示されている記事だった。

記事は「下アゴがズレている」のが原因のように書かれている。

アゴがズレるのは、片方により負荷がかかっているからだ。
どちらのアゴで「我慢している」のか。
その我慢が、アゴに出る。

「意識が先」というとらえ方を提唱している私としては、
上記のような環境と心理があって、耳とアゴに不調和が起きて、
耳に症状があらわれたというふうに解釈している。

もちろん、一方的なベクトルではなくて、
相互作用ではあるけれども、病気すら、自分だけの問題ではなく、
環境や相手との関連性がそこに現れている。

いずれにしても、相手を選べる環境にある人は、
耳に心地よい相手を選んでほしいものである。

「じゃあ、そうでない人は?」
それは、その環境の中で「自分中心」になる努力をする、
ということでしょうか。