つくづく、自分に合った場所にいる  

物質的なもの、環境、今いる場所は、
自分の意識レベルを高めていくために自分が用意した材料だと、
つくづく無意識のすることに感心するばかりです。

もう長年つきあってくださっている会員さんたちも、
少なくありません。
しばしば、「なるほどな」と実感するのは、
そんな人たちが転職して、次の仕事を自分の仕事として選んだときです。

どんな仕事をと聞いたとき、その瞬間、
「ああ、そうか。だから、その仕事を選んだのか」
と、私の心の中に、それに納得するフィット感が起きて、
勝手に喜んでいます。

どんな仕事を選ぶか。
その条件は、自分の中にあります。
自分の中にある条件を、無視して、
恐れや不安や焦りで妥協したときは、そのフィット感が、
感じられません。

念のために、これは、その仕事を選んだ人が感じるのではなく、
私が、その人の仕事を聞いた時に感じるフィット感です。

なぜ私が、そんなフィット感を感じるのだと思いますか。
超能力?
予知能力?

そんなものも否定はしません。

はっきりと言えるのは、私が、その人の情報を知っているからです。

何が足りないとその人が思っているのか。
何を欲しているのか。
何を目指しているのか。

このテーマを書き出す数秒前に受信箱を覗くと、
「児童施設」の仕事をしているというメールが届きました。
いままで、いくつかの仕事をしてきたその人が、
「児童施設」を選んだと聞いたときも、
このフィット感が起こりました。

それは、その人が、
・自分の子供時代をやり直したいと思っているが、
 今の親では、できない。
・純粋な気持ちを捨てたくないと思っている。
・温かい交わりを経験したい。
・傷つけられる心配のない相手がほしい。
・時間的にハードでは、疲れる。
・たくさんの人とは交わりたくない。
その他もろもろ、その人の「自覚している条件、
無意識の条件が、叶った形で、その仕事に出合う」というふうに、
仕事においても、自分の意識と重なっていると感じたからです。

もちろん、こんな私が感じるフィット感は、たぶん、その人も、
感じているのではないでしょうか。
自分が自分の感覚のほうに焦点が当たっていないだけですね、きっと。

自分の中で、「こんな仕事でなければならない」
と頑なに思い込んでいるときは、こんなフィット感も起こらないでしょう。

仮に自分の中に、もっと大きな物質的な目標があるとしても、
小さなレベルでのこんなフィット感を感じたものを
選んでいったほうが、その目標に近づく近道となるでしょう。

というふうに、自分が選んだその場所は、
仮に自分の大きな目標とは異なっているように思えても、
フィット感を感じるものほど、自分が望んだものが、
そこに在ると知るはずです。