相手の心理を知りたくなる心理  

今一つ男性心理がわかりません。
仕事場で大変なスランプに陥っていました。
そんな私を気にしてか、職場の先輩(男性)が、
私を助けて下さいました。
さらには『わからない事があれば金曜日は電話に出られるので、
かけてきて下さい』と携帯電話番号を教えてくれました。

それから一か月後私は職場を異動になりました。
聞きたい事もありましたし近況も伝えたかったので
一度異動後電話をかけました。
が、その日、電話は繋がりませんでした。
次の日偶然、その先輩に職場で出会い、
「昨日電話かけてくださったんですね。またこちらからかけます」
あれから一か月経っても電話がかかってきません。

こちらからまた電話をして繋がらないのは嫌なので、
かけたくありませんし、彼の迷惑には毛頭なりたくないし、
用事も特にありませんが、
『電話をかけます』という言葉が気になっています。

一か月も時間がたっているので
もうどうでもよい人と思われていると歴然とわかります。
しかしそんなどうでもよい私に何故電話番号を
教えたのかがわからない。
同じ職場の仲間だからにしてもそこまでする必要があるのか、
とかグルグル思考が回っています
彼には彼で私のわからない何か事情があるに違いない。
仕事か何かで毎日大変なのだろう、と思うのですが、
時々疲れていると余計な事を考え一人で空しく
『あきらめる』しかないのかと考えだします。 

(返信)
男性心理を知りたいと言うことですが、
「自分中心心理学」は、相手の心理を知るためにエネルギー
を費やすよりも、自分のエネルギーは、もっと、
自分自身のために役立てましょう、という立場をとっています。

まず、どんなに相手の心を知ろうと思っても、すべての人が、
相手や外界に認識するときにすでに、
自分なりのフィルターがかかっています。
そのフィルターから相手を眺めても、
外界を眺めても、正確なところはわかりません。

それどころか、人が1000人居れば、
1000通りの世界がある、というふうに、
同じ現象を見ていながらも、まったく異なった世界に生きています。

ですから、相手の情報を知りたければ、相手を見るより、
「私をみて感じる」ほうが、より正確です。
少なくとも、“私”にとっては、「私が感じる情報」のほうが、
はるかに正確ですし、有益でしょう。

むしろ私は、そうやって「相手の心を知ろう」とする、
自分のその意識を問題にしてほしいと思います。

なぜ、自分より、相手のことが気になってしまうのか。

「相手に嫌われたり、拒否されて傷つくのが怖い」
「傷つくのが怖いから、相手が安全だとわかったら、
行動してもいい。安全かどうかわからないときは、行動しない」

といったことで相手のことが気になってしまうのだとしたら、
逆に、少しずつ、できるところから、
自分が行動できるようになることが、大切でしょうね。

たとえば、相手に電話をかける場合、
「相手が私を拒否するかも知れない」というような結果、
しかも否定的な結果のほうに焦点を当てたら、
傷つくのが怖くて電話できないでしょう。

他方、
自分のために表現しよう。
自分の気持ちを引きずりたくないから、表現しよう。

こんな自分中心の視点から、
「自分のために、ちょっと勇気をふるって、電話してみよう」
というふうに、自分に焦点を当てて、
「自分の気持ちを解放するために」言ってみる。

相手の反応はないかもしれません。
そうであれば、それが「相手の気持ち」です。

それでも、これができれば、相手の反応はどうであっても、
「電話できてよかった」
になっていきます。
そして、自分の“行動できたところ”を、
自分自身が評価したくなるでしょう。

そもそも、相手のことが気になるのは、こんなふうに、
自分のために行動しないからなのです。
自分中心の視点で行動できれば、
そんな「気になってしまう」は、他の場面でも、
だんだん減っていくはずです。