頭でわかっていても実行できない

腹を立てても当然のことをされたのに、その場では、
何も言えず、黙ってしまい、そんな自分が本当に情けなくなります。

自分中心の本を読んで、
自分の気持ちを伝えるのが大切だと頭では理解できますが、
一方で、言うのが怖いという気持ちがあります。

こんな質問を多くの方々からいただきます。

「相手と争いなってしまうのが怖い」というその恐怖心は、
頭の中で理解しただけでは、消えていきません。

どんなに思考やイメージで
「ラクに自己主張したり、自己表現できる」
つもりになったとしても、感情のレベル、経験のレベルで、
「主張したら、怒鳴られて、とても怖い思いをした。深く傷ついた」
といった経験があるとしたら、主張できないのは当たり前です。

過去に経験したそんな恐怖心は、
同様に、経験レベルで
「自己表現できて気持ちよかった。自己表現してよい結果になった」
ということの蓄積で初めて、小さくなっていくのです。

また、主張できない人は、
「言いたくても、つい、言葉を飲み込む」
クセがついているため、言葉を出す回路が育っていません。
表現するには、
この「出す回路」も育てていく必要があるでしょう。

こんなふうに書くと、「怖い場面で主張できる私」になるには
、とてつもなく長い道のりが目の前に拡がっていて、
気が遠くなるように感じるのではないでしょうか。

残念ですが、そうなんです。
一朝一夕にできるものではありません。

むしろ、「怖い相手に主張する」のは、
年単位の大きな目標とすることです。

例えば、怖い相手が[10]レベルだとしたら、
[9]レベルの相手に主張できるのを、目標とする。

それが無理なら[8]レベルにする。

それが無理なら[7]レベルの相手、というふうに、
レベルを下げて、できるレベルからやっていくことです。

それを「とてつもなく長い時間」と捉えてあきらめてしまうかどうかは、もう、個人の自由です。

同じ時間をどうつかうのか。

「言いたい、でも、できない」で、時間を悩みに費やすか。
それとも、目標達成に向けて、
少しずつ、レベルをあげていくために時間をつかうか。

ただはっきりと言えるのは、自分にとって大きな問題を、
こんな形で時間をかけて解決して行こうする姿勢は、
実は、その問題を通して、「自分を愛する方法を学でいく」
にも等しいということです。

新刊にも書いていますが、
「あなたが直面している問題に、向き合う」ことが、
自分を愛する作業となります。
その問題を通して、「あなたが自分を愛する」術を学んでいく、
そのプロセスが、あなたの人生を、
より良い方向へと導いていくでしょう。

時系列を超えたあなたの意識の視点から言えば、
その問題は「あなたが自分を愛するために起こっている」のです。