自ら人生を厳しくしている

あらゆる既成のものが崩れていく時代です。
その急激な変化に適応できないと、困難ではないことも、
困難に感じます。

本ではなかなか伝わらないところですが、
カウンセリングやセミナーを受けた人たちから、
「こんなに楽で、(未来が)大丈夫なんでしょうか」
「心が、こんなに軽くていいんでしょうか。なんだか、
申し訳ないような気がします」
とよく言われます。
その軽さ、楽さのほうがいいのです。

むしろ、そんな軽さに順応するのも、
(人によっては)大変なんですね。

楽に生きるようと決めた人であっても、
「これぐらいだったら、まだ、いいだろう」
というふうに、自分の罪悪感と釣り合う程度の楽さで、
とどめようとします。

これ以上楽だと、罪悪感が起こるので、
「ほどほどのところで」と、自分で無意識に調節しています。

まだまだ、「楽に生きる」と、人生はうまくいかない。
厳しい人生を経なければ、人生はよくならないと信じています。

ただ、「厳しさ」というのは、個々の受け止め方によって異なります。

例えば、昨今のコロナ禍で、
その感染者の増大や、自分や社会の未来をネガティブに
捉えてしまう人ほど、過酷な現実と感じるでしょう。

行動的には、
徹底的にマスクをして、徹底的に消毒をして、
外出や人との接触を断つ。

そんな行動が恐怖心によるものであれば、
それを実行していても、その行動そのものが恐怖心を
煽ることになり、心身ともに耗弱していくでしょう。

同じことをしていても、
「これで安心。また、これで安心が増えた」といったふうに、
安心が増えていけば、その安心感から、
例えば、
「ここでは、マスクはいらないな」
「こんな予防策もあったな」
「もっと、日光を浴びよう」
「ウイルスに接したからといって、必ず感染するとは限らない」
あるいは、
「感染したとしても、自然に治ってしまうこともあるんだ」
「重症者は、そんなに多くないんだ」
などと、安全材料を集めることで恐怖心を
薄めることができるでしょう。

実際に、前者と後者では、人生そのものも、
それに応じた人生となっていくでしょう。

罪悪感が強くて、自分が楽であることを許せない人たちは、
こうやって、自ら人生を、厳しくしているところがあるのです。