設定が正反対になっている(1)

心の問題というのは、目に見えないために、
なかなか解決しないと思い込んでいる人たちが少なくありません。

けれどもそれは、実は、私たちの人生の土台となる「初期設定」が、
最初から間違っていたからだと、言えるのではないでしょうか。

初期設定が間違っているのですから、結果に、
その設定通りに間違った結果になるのは、当たり前のことなのです。

自分中心と他者中心では、まったく正反対の言動をとります。
正反対の言動をとるのですから、正反対の生き方になるのは、
水の流れのように、当たり前だと言えるでしょう。

自分中心と他者中心の違いは、最初の「意識」のあり方
そのものがまったく正反対です。

これを理解してもらいたくても、相手に伝えることが、
このメルマガであれば、文字で伝えるしかありません。

けれどもひとたび文字になってしまうと、
読み手の捉え方によって、その内容は、まったく違ったものとして
伝わるという可能性も出てきます。

それでも、その文字を情報として取り入れるとき、
文章を読みながらも、頭の中でリアルに三次元的に捉えることが
できる人であれば、それを、実生活に活かすことができるほどに
理解するでしょう。

他方、その文字を、単に文字として平板に捉えてしまえば、
その情報が暗記記憶としては残ることはあっても、
それを実生活に結びつけることも、体験として実感できるまでに
自分に落とし込むことも、できないでしょう。

例えば、水が入ったバケツの一カ所に穴が空いて水が
漏れているとしましょう。

自分中心の発想ができれば、すぐに、他のバケツに移し
替えるかもしれません。
その後で、水が漏れている穴を塞ごうとするでしょう。そして、
そのために、どんな塞ぎ方をすればいいか、
その材料と方法を考えるでしょう。

けれども、他者中心の発想は、バケツを移し替えたり穴を
塞ぐことよりも、
「どうして、こんなところに穴が空いたのだろうか」
などと考えて、その原因を突き止めようとするほうに意識が向きます。
その間に、水はどんどん漏れていって、減っていくにもかかわらず。