自分のほうから挨拶できる子供 

近所に、自分ほうから挨拶してくる子がいます。
「相手が挨拶するから」ではなく、自分から挨拶できるというのが、
肝心です。

人を警戒している子供よりも、こんな子供のほうが、
自分で判断できる大人になるしょう。

例えば子供が、「知らない人と話をしてはいけない」
と親から言われたとしましょう。
これは、言語による情報です。

この言葉を絶えず頭の中で繰り返していたり、意識していれば、
「思考」のほうに意識が向きます。

すると、相手をみるとき、この思考を通して相手をみようとします。
すでに、ここで、相手をそのまま「生の情報」
として捉えることができません。

自分のほうから挨拶する子供は、自分の判断で挨拶しています。
そのとき、相手が安全な人かどうかを、
「生の情報」として捉えています。
安全と認識したから、挨拶をする、というステップを踏んでいます。

こんな子供は、目の前の“今”を感じて「生の情報」を、
自分の人生に活かせる子供に成長するでしょう。

けれども、「言葉」で警戒させられている子供は、
目の前で起こっていることに対して、自分で判断できません。

例えば怪しい人が近づいてきて、「親が呼んでいる」
「親が事故にあったから」などと言えば、その“言葉”を信じて、
ついていくかもしれません。

「相手を感じることができない」と、思考に頼ろうとするので、
かえって、危険かどうかの判断ができません。

この例の場合、安全性を高めるという点においては、
普段の生活圏内の道々に、顔見知りのおじさん、
おばさんがいてくれたほうが、何かあったとき、
協力してもらえるかもしれません。

怪しい人が声を掛けてきたときに、近所のおじさん、おばさんが
「〇〇ちゃん」と声をかけてきて、難を逃れるかもしれません。

怪しい人と親しくなる可能性もないとは言えませんが、
それ以上に、そんな場面に遭遇したとき、
「頭で考える」子供よりも、“今”目の前で起こっていること
に対して、自分で“感じて行動できる”子供のほうが、
はるかに、危険を回避できるでしょう。

実際に、そんな子供時代を経て、今、私たちは大人になっています。

子供のころ、「大人の言うことに従う」子供でしたか、
それとも自分で「感じて判断できる」子供でしたか。

また、そんなあなたは今、どんな大人になっていますか?