ちょっと怖い話  

ある相談者の方が、お話の中で、こんな話をしてくれました。

昔、「世にも不思議な物語」という外国のテレビ番組がありました。
その一つなのかもしれませんが、醜い主人公が、
普通の顔になりたくて整形手術を繰り返すというストーリーです。
包帯をとり、その結果をみるたびに、手術をした医師団の中から、
「ああ、また、失敗か」
と深いため息の声があがります。

「こんどこそ」とばかりに、もう一度、手術を行います。
包帯をぐるぐる巻きにした包帯が、少しずつ外されていきます。
最後の包帯が顔からはらりと落ちた瞬間、周囲から、またもや、
「ああ、やっぱりダメだったか」
というどよめきと、絶望的な声が入り交じります。
そして……、それまで、
はっきりと映し出されていなかった主人公と医師団の顔が
クローズアップされます。

そのときはじめて、主人公は「普通の人間」で、
繰り返し手術をしている医師団が、醜い野獣のような姿を
していたという実体があらわなになります。

こんな話だったのですが、この結末が、
今の世相と重なってしまいました。

圧倒的多数の人たちが、この主人公のように、
「自分が間違っているのだから、自分を変えなければならない」
と信じています。

しかもその「自分が間違っているから」というのも、
実際に、検証したものではなく、
「みんながそうだから。そう言うから」
「みんながそれに従っているから」
といったことを基準にして、「自分が間違っている」
と思い込んでいることが少なくないのではないでしょうか。

こんな話をしてくださった相談者の方も、
「これまでの自分がそうだった」ということに気付いたから、
こんな話が出てきたのでしょう。

政治、医療、マスメディア、学校、その他もろもろ、
これまで私たちが「当たり前」のこととして信じていたことが、
実はそうではなかったのだということが、露わになってきています。

情報はたくさん溢れていても、虚実入り交じっていて、
外側を基準にしようとする人ほど、何が良いのか、
正しいのか、何を信じていいのかがわからない、
という状態なのではないでしょうか。

あるいは、誰か特定の人を信じて、それに依存して、
その人の言いなりになっていたほうが安全だ、
という選択をしてしまう人もいるでしょう。

けれども今は、反対に、「黙って従っていれば安全」という、
そんな選び方が通用しなくなる、という時代でもあるでしょう。

こんな話を身近な人がしていました。かなり高額の取引です。
保証期間を聞くと、担当者は、30年と答えてくれました。
「ほう、それは安心ですね」
と喜ぶと、担当者は、
「でも、会社が30年、つづく保証はありませんが」

何を信じるか。
やっぱり「自分を信じる」ほうが、はるかに、
安心できると思いませんか。

あるいは、人も自分も信じられないとしたら、
人を信じるレッスンよりも、自分信じるスキルを身につけたほうが、
はるかに賢いと言えるのではないでしょうか。