カテゴリ:愛

大切な人の幸せが許せない 

幸せになるのは、
ほんとうに難しい、ということを痛感するこの頃だ。

自分の問題が解決すれば、すぐにでも、
ハッピーな気分で毎日を過ごすことができる、
と大多数の人たちが信じているに違いない。

けれども、問題を解決すると同等に、あるいはそれ以上に、
「幸せになる」ことも、難しいようだ。

一般的に言われている「共時性」という言葉は、
すでに私にとっては馴染まない。

なぜならそれは、共時性は当たり前という認識だから。

いま自分が心理探求の一つとして、
「このテーマについて、知りたい」と
願えば、その答えをもったクライエントさんが、やってくる。

私は、それを待っていればいい。

一つの例に過ぎないが、ここ1,2ヶ月、関心を抱いていたのは、
「好きな人を憎んでしまう」という傾向だ。

自分の関心をそこに絞っていると、
そんな問題を抱えた人たちの来訪が増える。

彼らの共通意識。
「相手が不幸だったら、私は、なんとも思わないし、
大切にしたいという気持ちも湧く。けれども、親しい人が、
幸せそうにしていると、憎くなる」
と。

過去に不幸な体験をした人たちは、
自分が幸せでいることを許さない。
自分が幸せになる方法を知らない。
実際に、幸せな状況であったとしても、
「ポジティブな実感」が乏しいために、幸せを実感できない。
幸せなことを体験していても、素通りする。

そして、
「他者が幸せになること」が許せない。

しかもそれが、最大の悲劇となり得るのは、
「自分の大切な人が、私と一緒にいることで、幸せを感じている」
こと。

自分が不幸な体験をしていれば、「愛されても」、
愛される喜びで、心が一杯にはならない。

それよりも、
「大切な人が、私と一緒にいて、幸せを感じている。
それが許せない」
となってしまう。

これでは、いつまで経っても幸せになれない。

幸せになるにも、トレーニングが必要だ。
そして、少しずつ
「幸せの体験」の実感を積み重ねていくしか、ない。

どんなに幸せになりたくても、
「そんなトレーニング」を端折ることはできない。
だから、常に、すべて「少しずつ」
というプロセスのほうが、貴重なのだとも言いたい。