寂しい、つまらない、退屈だ  

「寂しい、つまらない、退屈だ」
そう訴える人がいます。

「ひとりでいるとき、何もすることがない」
だから、「つまらない。退屈だ」と。

それは、五感や感じ方の心地よさや快適さ、楽しさ、
面白さ等々を感じていない、という「感度」の問題でもあるでしょう。

同じように青い空を見上げても、
雨が降りしきり窓の外を眺めていても、
五感に響くものを感じとることができなければ
「つまらない、退屈だ」になるでしょう。

「寂しい」というのは、人間関係にかかわる言葉です。
誰もいないので、寂しい。
人と一緒にいても寂しい。

人と一緒にいても、寂しいと感じるのは、頭やイメージで、
「自分の理想とする愛や幸福感」があって、
それと比較して、同質のものが得られていない
ということなのでしょうか。

一つは、イメージと現実との混同で、絶えず理想を思い描いて、
それと比較していれば、寂しく感じるでしょう。

ただ、これも自分の「感じ方の感度」の問題とも言えます。

人と一緒にいるとき、その満足度は、相手によって異なります。

けれども、「寂しい」という気持ちに囚われていれば、
30パーセント満足できる人と一緒にいても、
50パーセント満足できる人と一緒にいても、
60パーセント満足できる人と一緒にいても、
「自分がイメージして感じる100パーセント」
満足できる人ではないために、
「寂しい」という気持ちになるでしょう。

「自分が描く理想」に囚われていて、
心がそこに束縛されていれば、
30パーセントの人が側にいてくれても、
50パーセントの人が側にいてくれても、
60パーセントの人が側にいてくれていても、
「一緒にいてくれて、うれしい」
という気持ちにはならないでしょう。

「一緒にいてくれて、ありがとう」
という感謝の気持ちも湧かないでしょう。

そして言います。
「でも、彼らは、私の望む100パーセントを与えてくれない。
だから寂しい」

全く同じシチュエーションです。

Aさんは、片想いの人がいます。
片想いの人の側にいるだけで、心が満たされるのを感じます。
好きな人の姿をみては、嬉しいと感じます。

その気持ちが相手に伝われば、恋を成就させるほうへと
発展する確率は高くなるでしょう。

Bさんは、片想いの人がいます。
好きな人が側にいても、相手に好かれるかどうかが気になります。
自分がどう映っているかが気になります。

だから、「相手の姿を見ただけで、うれしい」
という感情を味わうことができません。
むしろ、緊張ばかりしています。

感じるのは、成就しないことへの「苦しさ」だけを
抱えることになるでしょう。

自分が感じているその想いは、相手にネガティブに伝わりやすく、
また、また、自分自身も発展させることにブレーキをかけるので、
片想いで終わる可能性が高くなるでしょう。

AさんとBさんとの、違い。

それは、「今」に生きるか、「過去か未来」に生きるかの違いです。
あるいは、自分の心を素直に感じるか、相手をみるか。
つまり、自分中心なのか他者中心なのかの違いだとも言えるでしょう。