大型店舗の機械化 

しばらくぶりに大型スーパーに行ってみると、清算のときに、
合計金額がわかると、後は自分で料金を支払うことができる機器が
設置されていました。
私は領収書が必要なのですが、
領収書は別のコーナーでもらうようになっています。

実際に、指定通りに動いても、
領収書を発行する人がその場にいなくて、
しばらく待たされることになりました。

多くの人にとっては、オートメーション化されるのは
便利と考えているのでしょうか。
ゲームは機械操作に慣れている若い世代は、
あらゆることが自動化されていくことに、
便宜性を感じているのかもしれません。

けれども、最近の私は、
「便利なようで、いっそう、便利ではない社会になっていっている」
というふうに思ってしまいます。

かつて内閣府が2017年8月26日に
「国民生活に関する世論調査」を行ったとき、
現在の生活に「満足」「まあ満足」と答えた人は
合わせて約74%に上り、
調査項目に加わった1963年以来最高となったと言っていました。

決してそれは、心から物心両面から満足している、
というわけではなく、他国や他者と比較して、
「まあ、幸せのほうじゃないの。贅沢いったらキリがないから」
レベルの満足なのではないでしょうか。

また、そんな満足の中には、スマホ等々も含めて、
こんな機械化も含まれているのでしょうか。

人と話をしたり接したりするのが面倒だと感じている人、
何よりも合理的であれ、とする人たちにとっては、
「速い」というのは魅力的なことでしょう。
いまや、そんな願いも、コロナ禍という皮肉な形で、
実現しています。

ラーメン屋さんでもガソリンスタンドでも、スーパーでも、
映画館でも、駅でも、自分でするべきことの、なんと多いことか。

では、そうやってわずかに短縮されれば、
その時間を何に遣っているのでしょうか?

その時間を、自分の豊かさのために遣っているのでしょうか。

むしろ、私には、短縮されればされるほど、
忙しく動いているようにしか、見えません。

昔は、「あれが欲しいな、あれがしたいな」と思い浮かんだら、
気ままに出かけても、目的を達成することができました。

自分ではよくわからなくても、目的の店で会話をすれば、
担当者に相談することができました。けれども、いまは、
目的を達成するには、たくさんの前情報が必要です。
自分で操作して予約したりしなければなりません。

むしろ今は、特別なサービスを得ようとすれば、別途料金がかかります。

朝から車ででかけて帰宅するまでの間に、
どれほど機械操作をしているでしょうか。

オートメーション化されていて、
自分が機器操作することに慣れてしまっている人は、
「人に任せる」と、
「遅い!」と苛立ちを覚えるに違いありません。

そのうち、カードをもつのは面倒くさいから、
「自分の体内に、マイクロチップを埋め込んだほうが簡単だ」と
思う人も出てくるかも知れません。

そうやって、便利そうで便利でなくなってきている社会を
みていると、自分の首に鎖をつけるのに、自分のお金で働いて、
そのお金を捻出しているように見えてなりません。

心にゆとりがある人は、あらゆることで、
ゆったりと時間をかけて「味わい」、それに満足できます。

「意識」という観点からすると、
そんな「ゆったり」を味わう豊かさは、
お金を生む意識だとも言えます。

従って、拡大解釈のように思う人もいるかもしれませんが、
「ゆっくり時間をとって感じること」を
面倒くさいと感じる人たちが増えれば増えるほど、
確実に、豊かな人とそうでない人たちとの間の格差が
広がっていくという見方もできるのです。