戦って勝てば平和がやってくるのか

   日本は今や、あれよあれよと言う間に、
「戦争が始まるかもしれない」というような緊張感を
持たざるを得ない状況となっている。

とにかく軍拡志向の方々は、戦う、戦う、戦う。
また、そういった姿勢を持つ政治家に肩入れする。

戦う相手に対しては、優位に立つために、
さらに強い力で抑え込めば、うまくいく?
そう思っている人たちが多いのでしょう。

けれども、「国と国とが戦う」というのは、どういうことか。

もちろん、多数の人命が失われことになるでしょう。
それだけではありません。

戦って勝てば、平和になるのか。

今の状態は、1940年の当時の状態と似ていると言われています。

これから予測されているのは食糧危機と経済破綻。

ハイパーインフレになると、貨幣価値は紙くず同然となります。

日本が敗戦したとき、国の財政は破綻状態でした。
これに対して当時の幣原喜重郎内閣は、
1946(昭和21)年2月17日、金融非常措置を断行して、
預金封鎖と新円切り替えを行いました。

ネットで危機感をもって騒がれているように、
預貯金を封鎖して引き出しを制限する。
旧円を新円にしないと旧円は使えない。また、
旧円を金融機関に預けさせる。といった措置でした。

パイパーインフレ状態だった当時の、
緊急対策だったと言われていますが、それは、結果として、
あるいはそれが目的だったのか、体のいい没収だったとも言えます。
しかも、それはたった一日を置いての実行だったと言います。

「戦って、やっつけよう」
と、叫ぶことは誰でもできます。

しかし、叫ぶ当人たちが、
先頭に立って戦ったという話を聞きますか?
危険が自分に及ばない人たちだからこそ、
言えることではないかと思ってしまいます。

もっと怖いのは、そう叫ぶ人よりも、それを支持する人たちです。
「叫ぶ人」と「それを支持する人」
あるいは、それに無関心でいようとする人。

常にこれらの「関係性」で、社会は動いていきます。

自分がどう思い、どう捉え、どう行動するか。

今まさに「社会の動静」が、「自分に向き合うこと」
を突きつけています。

その判断、行動によって、自分の本性があぶり出されていく。
そんな自分を、自分が目撃する。

国の動向は、「国民の意識の総和」で決まります。
私たち一人ひとりが、その中に入っています。

流言飛語に惑わされないように。フェイクニュースに
煽られないように。さまざまなデマに翻弄されないように。

どんな未来を望むのか。
はっきりと、それを「自覚する」。

自分のこんな「自覚の仕方」だけで、
自分のいる場所を決めてしまうのが、「無意識の力」です。