「一致団結する」強靱さ

多くの人が疑問に思っているのではないでしょうか。

「いつも善人は損して、悪人は得する」というのは、
どうしてだろう。

まず、この「得する」というのが、
何を持って得するかということでも、違ってきます。

一般的には、「得する」というのは、
お金や地位や肩書きなど何らかの物質的なもので利益を得る
ことを指すのでしょう。
地位や肩書きといったものも、名誉というだけでなく、
結局はお金と無関係ではないでしょう。

そういう点で「得する」というのが、
主にお金、地位、財産、肩書きだったりすることを前提とすれば、
まず、自分がそれを「得る」ことを、心から認めているかどうか、
です。

倫理、道徳とは関係ありません。

議員が公務として新幹線を使うとき、
どんなものでも「公務」であるとして、
それを「議員の特権」としていれば、それが通用するでしょう。
ガソリン代を、月に数百万円計上したとしても、
それが特権だと思っていれば、通用するでしょう。

そんな人たちの集団が、ひとかたまり存在するとしたら、
そんな集団が、がっちりスクラムを組んで団結して、
その特権を守ることに必死になるでしょう。

その強靱さは、他の誰にも劣りません。

例えば守銭奴と揶揄される人たちの、
その集中度、粘着性、執拗さには、驚かされます。

それは、自分の好きなことを研究している研究者の熱心さに、
勝るとも劣りません。

こんな「統一性」や「方向性」は、
強大なエネルギーを生み出します。
良くも悪くも、「一致団結」したときの力は大きいのです。

一つの嘘を守るために、みんなが一致して、その嘘を守る。
そうしないと、総崩れになってしまう、としたら、誰でも、
やむなく嘘をつく可能性が高いでしょう。

「みんながやってるんだから、私ひとりぐらい抵抗しても、
何の力にもならない」
と、自分に言い訳をすることもできます。

こんな人たちを「良い悪い」でみると、腹が立ったり、
「自分もしなくちゃ、ソンソン」
になるかもしれませんが、世の中は「良い悪い」の
原理で動いているわけではありません。

関わっている人たちの「思い(意識)」のバランスです。

良くも悪くも「損得」の執着心から、
成り立っているバランスだと言えるでしょう。

こんな観点からみると、「善人は損して、悪人は得する」
という定理で成り立っているわけではないと、
理解できるのではないでしょうか。