あのとき違った選択をしていても「同じ」

自分の過去を思い出して、
「あのとき、ああすれば、もっと幸せになっていたに違いない」
「あのとき、あの方法をとっていたら、こんなことには
ならなかったのではなかろうか」
などと、過去の選択を悔やむことがありませんか。

自分に対してだけでなく、他者に対しても、
「あのとき、違った方法と選んでいれば、もしかしたら、
救えたかもしれない」
「あのとき、私が承諾していれば、流れが変わったかもしれない」
などと考えて、自分を責める人も少なくありません。

けれども、自分中心的視点からみると、その過去にもどって、
過去に選択したものと違ったものを選択したとしても、
やっぱり結果は、同じか、似たような結果になっていたでしょう。

どうして、そう言えるのでしょうか。

それは、自分がそれを選択するときの意識状態は、
変わらないから、ということです。

例えば、Aさんに借金を頼んだら、Aさんに断られたとしましょう。
このとき、Bさんに借金を頼めば、貸してくれたかもしれません。

一般的には、AさんとBさんのどちらを選ぶかで、
その先の流れが変わる、というふうに思うでしょう。

けれども実際には、たいした違いはありません。

自分の意識が変わらなければ、同じパターンで動くからです。

「お金をなくす」ことが、自分の中に強くインプットされていれば、
仮にBさんがお金を貸してくれたとしても、やっぱり、
なくしてしまうように動いて、元の木阿弥となるでしょう。

Aさんは貸してくれないので、このときは少なくとも、
借金にはなりません。
けれども、Bさんからお金を借りれば、それが借金として残ります。

つまり、「あのとき違った選択をしていれば」
という問題ではないということです。

自分の意識が変わっていなければ、同じパターンで動きます。
そのパターンが好ましくないパターンであって、また、
長年修正されていないとすれば、そのパターンは
次第に強化されていきます。

過去を思い出すことは、いいことです。

けれどもそれは、過去を悔やむことではありません。

そんな思い出し方ではなくて、
「自分がそのとき、それを選択したとき、
どんな意識状態だったのだろうか」
というような思い出し方をしてほしいのです。

例えば、行き場がなくて「誰でもいいから、すがりつきたい」
という気持ちで選択していたとしたら、
今も相変わらず「「誰でもいいから、すがりつきたい」
という気持ちで選択しているかもしれません。

こんなふうに、自分の状況と、それを選択したときの
「自分の意識状態」をつぶさに検証し、意識を修正したほうが、
はるかに自分の未来のためになるでしょう。