優しい人が生きづらい社会(2)

本来私たちは、根底に、「他者に優しくありたい。協力したい」
という欲求を持っています。

けれども、その優しさが実を結ばないとしたら、
それはどうしてでしょうか。

その判断基準は、その優しさが、
好ましい結果になるとしたら本物であると判断していいでしょう。

「本当の優しさだからといって、
良い結果になるとは限らないではないですか」
と言いたくなるかもしれません。

そうですね。
けれども、これは「無意識」での話です。

(無意識の世界では、すべてが緻密に矛盾なく構成されている
という仮説から話をしています。)

実際に、確率的にも、自分の優しさが功を奏するかどうかは、
自分の心と比較してみると、驚くほど一致していると気づくでしょう。

では、自分の優しさが、「本物」であるかどうかは、
どうしたらわかるのでしょうか。

それは、相手に振り向けているときの、自分の心を見ればわかります。

相手に自分の優しさを向けているとき、
それを喜びと感じているのか、
それ以外の気持ちでしているのかどうか。

もし自分の中に、自分の心が喜びや嬉しさや幸せ感ではなく、
相手にどう思われるかを気にしている思いがあるとしたら
その優しさの中に恐れが潜んでいます。

本当の優しさであるときは、「相手を感じて」います。

相手の心に共感しています。

まず、その、共感そのものが、優しさです。

だから優しく接するときは、自分自身も温かい、
心が和む気持ちになっています。

相手を気にするのは、自己評価の低さです。
やさしさは、自己評価の高さです。

相手に受け入れてもらうためにする。認めてもらうためにする。
相手に好かれるためにする。

これは「他者中心」の意識ですが、こんな意識は決して、
心地良いものではありません。

こんな意識で、「相手に気に入られるように気を遣う」
という生き方をすればするほど、自分自身が惨めになるでしょう。

優しさは、強さです。

自分がそうしたいから、する、という気持ちの中には、
慈しみの心や愛があります。

それは同時に、自分に対する愛でもあると言えるでしょう。

自分を愛することができて初めて、相手に対しても、
本当の優しさを示すことができます。

結局は、いつも自分に戻るのですが、自分を大事にできてこそ、
強くなれるし、相手に心からの優しさを贈ることができるのです。