言葉に敏感な人たちが増えている  

他者中心の人たちは、他者の言動にとても敏感です。
とりわけ、相手の心よりも、相手の「言葉」に反応します。

ある女性が言いました。
相手の気持ちは理解できるけど、
「言い方も許せないと思うのです」

なるほど、確かに、それも一理あると思いました。

ただ、それはほんとうでしょうか。

私の感覚としては、言い方も許せなくなってしまうのは、
言葉よりも、相手の心を感じる自分の感覚のセンサーが
乏しいからではないかと思っています。

例えば、
「やめろよ、そんなバカなことは!」
と、相手が言ったとしましょう。

言い方は乱暴です。

受け手としては、自分が何を基準にしているか。

言葉のほうに焦点が当たっているのか。
それとも、心のほうに焦点が当たっているのか。

その焦点の違いによって、聞こえ方、感じ方も異なるでしょう。

言葉のほうに集中していると、機能的に「心を感じる」感度
は低下します。
「心を感じる」ほうに焦点が当たっていれば、
相手が言った言葉よりも、
心を感じることのほうが優ります。

言葉に敏感な人は、その「バカ」という言葉に反応して、
「私をバカ扱いするのは、許せない!」
と腹を立てるでしょう。

他方、相手の心を感じる感覚のセンサーが高ければ、
相手が自分のことを心から思ってくれている、
相手が自分のために必死になってくれている、その心を感じて、
「心配してくれて、ありがとう」
と嬉しくなるでしょう。

言葉に焦点が当たるか、心に焦点が当たるかでは、
はっきりとした違いがあります。

例えば私たちは目を閉じていても、
ロボットが「好きです」と言ったときと、
自分を愛してくれている人が「好きです」と
言ってくれたときの違いを感じるとることができます。
それは、自分自身の「感じ方」が、
その違いを感じ分けられるからです。

意識が、どちらに向いているか、でも違ってきます。

自分の意識が外側に向いていれば、
自分の心を感じることができません。

自分の意識が自分に向いていれば、
自分の心を感じることができます。

他者の言葉に敏感な人は、他者の言葉によって傷つくのではなく、
自分が受け止める、その言葉の受け止め方によって傷ついています。

というのは、
「相手の言葉に傷つく」
という人は、ほぼ、それと同じことを、他者に向かって言っています。

本人自身は、「自分が傷つく言葉」を、
同様に「他者に向けて言っている」
ということに、気づいていません。

結局は、相手の言葉に敏感で「傷つく」という人は、
ほんとうは、相手が言った言葉に傷つくのではなく、
・かつて誰かに(多くは家族関係で)傷つく言葉を言われた。
・自分もそれを学習していて、知らずのうちに
「相手を傷つける言葉」を遣っている。

そうやって、
「自分が認識している自分の傷つく言葉」によって、
自分を傷つけているのは、ほんとうは、
自分自身なのだと言えるのです。

ですから、こんな悪循環から抜け出すには、
「思考」よりも、
「感じ方」のほうに焦点が当たることが必須です。
なぜなら、「思考」で自分を傷つけない方法を知ることは
無理だからです。