健康であるかどうかを気にしている 

コロナ禍で、精神面でも肉体面でも、
不調を訴える人たちが驚くほど増えつつあると実感します。

以前は、カウンセリングの中で、
体調の悪さが話題になることはあまりなかったのですが、
相談者だけでなく、
家族の方や友人知人といった人たちまで広げると、
入院や手術といった話にまで及びます。

ワクチン被害を筆頭に、環境汚染、大気汚染、食物汚染、
放射能あるいは携帯電話やパソコン、家庭電気機器、
送電線やテレビ、電波塔等といった電磁波汚染なのか、
特定できないほど複合的に私たちの生活環境が
悪くなっているからでしょう。

だからでしょうか。私たちはいつの間にか、
「健康でない」ことに恐れを抱くようになってしまっている
ような気がします。

もともと、私たちは、
「健康であるのが当たり前」であるはずです。
死ぬまで健康であっても、おかしくありません。

けれども、今の多くの人たちは
「歳をとったら必ず病気になる」
ことを当たり前だと思い込んでいるようです。
しかもその姿は、長患いの果てに死ぬというようなイメージが
強いように感じます。

そのために、まだ若いうちから、
健康のことを気にするようになっています。

まったく元気だと気になりませんが、
ほんのちょっとどこか不調になると、途端にそのことに囚われて、
「もしかしたら、重い病気に罹っているのではないか。
もしかしたらガンではないか」
 という不安から、病院に行って検査して、
それで異常がなかったらホッとする、というような感じです。

前回、「他者の言動に敏感になっている」
という記事を書きましたが、同様に、
多くの人たちが「健康であるかどうかに敏感になっている」ようです。

2016年に亡くなった安保徹先生がおっしゃっていました。
「病院に行って検査をすれば、病気がみつかって、
治療しなくてもいい治療がはじまる」
と。
(つい最近だったように感じますが、
亡くなってから随分経ってるんですね。)

ネガティブな意識に囚われていると、病気になることを心配します。
ポジティブな意識であれば、健康であることを喜べます。

どこの面をみても、パターンは同じです。
ネガティブな思考に囚われていると、
未来を心配してばかりいるでしょう。
ポジティブな意識であれば、
未来を根拠なく楽観視するというよりは、実際に、
希望をもてるような行動をしていくでしょう。

うっかり油断していると、知らずのうちに、
否定的な思い込みをインプットしてしまいます。

精神面では、「自分を信じる」。
肉体面では、「自分に本来備わっている免疫力や治癒力を信じる」
ですね。