自分中心でないと気づかないこと 

自分中心でないと気づかないことかも知れません。

今、職場で電話に出るのが怖いという若者が増えていると言います。

カウンセリングでも、職場で「誰が電話に出るか」
ということで心理的摩擦が起こっている、
という相談内容が少なくありません。
そんな中にもやはり、それぞれが「電話に出る」ことを
恐れていて出たがらないというケースもあります。

これを脳の構造で言うと、
脳幹の機能が「戦うこと」や「敵味方」というところに
シフトしていると、電話の向こうの相手を、
「自分を脅かす相手かもしれない。自分を傷つける相手かもしれない」
と考えるために、
警戒して出るのが怖くなるでしょう。

話はまったく変わりますが、ネットサーフィンしていたとき、
テレビで、自分の所有している宝石の自慢をしている女性に
関しての記事が目にとまりました。
番組の企画主旨は、
宝石の目を見張らんばかりの豪華さに驚嘆して「さすがセレブ」と、
番組の参加者の羨望のため息を誘うというものであったようですが、
企画意図から外れて、
その所有している女性の「資産階級」然たる発言が鼻につくと
物議を醸していました。
確かに宝石は美しい。
右脳が優位に働けば、
さまざまな理想や美の世界を追究したくなるでしょう。
けれども、美しい物を愛でる心と、
それを所有したいと願う欲求とは、別のものです。

もちろん所有する欲求を否定するものではありません。
脳の構造として、脳幹が活発に働く人は、
権力欲や所有欲が強くなるでしょう。

宝石を宝石としてだけで見れば、ため息ができるほど美しい。
けれども、それらが作られる工程をみればどうでしょうか。
あるいは、その宝石が世に出るまでの背景を知れば、
どうでしょうか。

まず、自然を壊しているかもしれません。

それが加工されるまでの工程で、
ブラッドダイヤモンドという映画がありましたが、
その背景に、安い賃金や劣悪な環境で採掘する人たちの
非人間的な労働実態があったかもしれません。

また、それが名だたる宝石であれば、
人の手から人の手に渡るまでに、血なまぐさい歴史が
あるのかもしれません。

そんな背景を無視して、それを指にはめ、
恍惚とした表情でブルジョア的優越感に浸っているとしたら、
その姿が、あなたには、どう映るでしょうか。

先の電話の話と、この宝石の話と、
どこに共通性があると思いますか。
それは、「感情脳(大脳辺縁系)のポジティブな感度が乏しい」
ということです。

「愛」は私たちの根源的なものです。
「愛」という言葉が気恥ずかしい人であっても、
根底で求めているのは愛です。

感情を感じる心が欠けていれば、愛を感じることができません。

そこに愛があれば、電話を出るのが怖いとはならないでしょう。
電話の受け手だけでなく、掛け手にも愛があれば、
その会話は楽しくなるでしょう。

宝石の所持者に愛があれば、いくつもの高額な宝石を
所有していることを自慢したりはしないでしょう。

脳の仕組みからすれば、私たちが所有欲や自己顕示欲があることや、
優劣や強弱を争うことも、当たり前です。

けれども、それにもまして、ポジティブな感情の感度が高く、
またその経験があれば、人と、あるいは動物や植物と
共感し合ったり、愛し合ったりする「愛」の満足感や喜びのほうが、
より質が高いと知っているはずです。

そんな愛の経験の乏しさが、恐れを生み出したり、
所有欲求や権力欲求のほうへと自分を向かわせているとしたら、
前者と後者は「弱者と勝者」という、いずれにしても、
愛のない、今の社会の世相をあらわしているように
思えてなりません。

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