人は、取りこぼしを取り戻そうとする Mさん 

以前、石原加受子先生の記事で、
今日のタイトルのような記事が
あったことを記憶しています。

人は、自分の人生で、取りこぼしが
あった場合に、それを埋めようとすると
いうことです。

例えば、3歳児が親に見てもらえなかった場合に、
それから先の長い人生が人に見てもらうことが
人生の目的になるという話ですね。

私も実際に、そういう生き方を
目の当たりにしてきました。

例えば、こんな調子です。

「自分が畑で採ってきた野菜を
持ってきたのだから、お前たちは、
それをありがたく、頂戴して、
喜ぶべきだ」

これを私たちに伝えないで、
要求するのです。

それを私たちがわからないと
その人は、猛烈に、怒り始めます。

私の頭がこれを理解するのに、
今日まで、相当の年月を要しました。

まるで、要求の仕方が赤ちゃんですね。

自分が黙っていても、何をしているのか、
察して、「喜べ」と言うのですから。

その人とは、長い付き合いでしたが、
今、肩の荷が降りた気持ちになっています。

私は、これまで、無用の苦しみを
引き受けていたような心境です。

「なあんだ、そんなことだったのか」

これで、また一つ、私は、
生きやすくなりました。