小さいけれども決定的に違う

ときおり、まったく仕事をしない時間を設けています。

そして、まったく束縛されない時間と、
その“実感”を味わうことにしています。

それは、自由であることの感覚を忘れないためでもあります。
ほんとうに、これが基準なのだと、つくづく思います。

とても貴重なことであっても、捉え方によっては、
「問題も何もない」
人によっては、そんな自由が、
「退屈で退屈でたまらない」
という人もいるかもしれません。

でもそれは、時間の自由はあっても、
心は諸々の制約で縛られているからでしょう。

ですから、どんなに制約のある生き方をしていても、
この「何をしても自由」という感覚を忘れないでいたいと思うのです。

忘れなければ、あるいは、
そんな生き方であることを受け入れられれば、
「基盤とする場所」に戻ることができます。

これは、リセットする感覚とも言えるでしょう。

本当に私たちは、心から自由であることを認めているのかどうか。
感覚レベルでは、案外そうでもありません。

私自身もそうですが、ゆっくりしていると、
逆に「物事を焦ってやろうとしている自分」に気づくことが
多々あります。

例えば、食事は、ゆっくりと時間をかけて味わってもいいはずです。
けれども、頭の中で次の作業が浮かぶと、
もう「ゆっくりと味わって食べる」を忘れてしまっています。

そのときふと、働く、働かないについて、世の中には、
「働かせたい人と働かなければならないと思っている人」
との2種類の人間がいると、こんなことを思いました。

その結果、実際には、「働かせたい人」のほうが、ずっと豊かです。

決してそれは本当の豊かさではないにしても、
食うや食わずで生きている人よりは、
気分的に余裕のある生き方をしているでしょう。

こんな不均衡を「公平にする」には、
「働かなければならないと思わない」ことではないでしょうか。
少なくとも、こんな意識は減らしていったほうがいいでしょう。

「お金が入らなければ、生きていけない。
だから働かなければならない」
そう言いたくなるのでしょう。

現実的には、確かにそうです。
けれども、意識は違います。ほんの少しの違いでも、
大きく影響します。

例えば「働かせたい」と思っている人は、
それで収入がある経験をしています。
その経験の「感じ方」としてはポジティブです。

「働かせたい」という思いは支配的であっても、
収入を得ているという思いはポジティブという意味です。

他方、逼迫した中で「働かなければ、食っていけない」
という思いの感じ方は、ネガティブです。

繰り返し述べていることですが、
世の中はすべて「バランス」です。

「働かせたい人」と「働かなければ、食っていけない人」との
バランスが崩れないと、「働かなければ、食っていけない人」たちが
ますます増えることになるでしょう。

意識の変化だけでも、流れが変わってきます。

せめて、もし正規雇用を望みながらも、
「非正規雇用でも仕方がない」
という思いを抱いてしまうとしたら、
「私は、正規雇用を望む」
と決めるだけでも、違います。

前者はネガティブな思考ですが、
後者はポジティブな“意志”が感じられます。

言わば、ベクトルが正反対です。
これは、言葉だけでは小さな違いだと思うでしょうが、
「意識」という点においては、正反対の動きになります。

だからこそ、こんな「意識」の違いだけでも、
自分が築いているこれまでの「負のバランス」を
崩すことができるのです。

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