昔からそうだったのか

私たちは気づかずに、相手の心をつなぎとてもおきたいために、
ネガティブな言動をすることがしばしばです。

そんなとき、自分の心に気づけば、「自分への思い」を、
相手の反応によって試そうとしている自分が自覚できるでしょう。

争いをふっかけて、相手がそれに乗ってくれば、
「自分に付き合ってくれる人」と確かめられて安心できます。

こんなふうに、問題を起こしたり争いを引き起こしたりする
その裏には、人を恋しく思う気持ちが潜んでいます。

無自覚にそれをやっている人も多いでしょう。
家族であれば、どんなに傷つけても、滅多なことでは、
家族が見捨てるということはありません。

家族はそれを承知していて、寂しかったり
相手にしてほしかったりして、争いを仕掛けているところがあります。

けれども、それは家族だから通用すること。
他人は違います。

それに思いが及ばないと、いつでも
縁が切れるかもしれない相手にでさえ、
あたかも「絶対に自分を見捨てない家族」であるかのように
振る舞ってしまうのかもしれません。

人との関わり方には、大きく分けると
「ポジティブな関わり方」と「ネガティブな関わり方」
とがあります。

ネガティブな関わり方は知っているけれども、
ポジティブな関わり方は知らない、
という人たちが少なくありません。

というよりは、最近、私たちの大半が、
ポジティブな関わり方をあまり知らないのではないか、
というふうに思ってしまうことさえあります。

ときどき、知り合いから、昔の日本映画のDVDを
貸してもらうことがあります。

「昔の生活」というと、その言葉の響きだけで、
「ほのぼの、温かい」というイメージがありました。
「昭和」ということ、その言葉だけで、懐かしさが蘇ります。

ところが、日本映画の中で交わされる家族での会話や
その光景を目にしたとき、こんな乱暴な言葉を遣っていたのかと、
目が覚めるような驚きを覚えたことがありました。

そのとき、
「そうだったのかあ。昔から、乱暴だったんだ」

そして、現代人が特にポジティブなコミュニケーションが
できなくなったわけではなかったのだと、
妙に納得したのでした。