親子三代 神代の昔から

80歳代の女性の話。
私の住まいは田舎だから、大半の人たちがワクチンを打っています。
打っていないのは、私ぐらいです。この前も、
「4回目のワクチンを済ませたわよ」
と、友達から電話がありました。
「どうして、そんな4回も打つの?」
と尋ねると、
「旅行したとき、接種済みカードをみせると、
宿泊するとき割引してくれるから」
心の中で、「割引のためだけに、自分の命を賭けちゃうんだ……」
と唖然としてしまったそうです。

ある中年世代のファミリー。
息子が、両親に向かって言いました。
「孫に会いたければ、ワクチン打ってよ。ワクチンを打っていないと
会わせられないからね。近所の目があって、俺たちも困るんだよ」
「うん、わかっているよ。心配なら、接種証明書みせるから」

若い世代の人に、
「どうしてPCR検査を受けるの」
と尋ねると、
「だって、受けるたびに、商品券をもらえるから。
間を空けたら何回でも受けられるから、お得だよ」

「PCR検査陽性イコールウイルス感染を意味するわけではないって、
知っている? 国会でもしっかりと質疑応答されている映像があるよ」
「いいや」
「いま、陽性者は感染者としてカウントしているよね。
でも、もともともPCR検査はなんでも陽性になる可能性があるので、
実際のところは、わからないんだよ。
それに、いま、ウイルス感染するのは、
90%以上が接種者だって知ってる。
だったら、ワクチン打つ意味ある?」
「へえ、そうなんだ。でも、そんなことどうだっていいじゃないか。
どうしてそんな“小さなこと”にこだわるのかなあ」

親子3世代、祖父母の代から私たちは、
「庶民は庶民らしく、分相応に生きるべきだ」と
しっかり“教育”されてしまっています。

その教育が、まさに意識の遺伝として定着。
最初から、自分がその身分であることを疑いもしない。

大きなことは望まず、分相応な身分の中で
「クーポン券がもらえた、ポイントが貯まった」
といったささやかな喜びを喜びとして生きるのが庶民だからです。

長い長い歴史の中で刷り込まれてしまっていて、
“おかみの言葉”は、そのまま無条件に受け入れてしまいます。

餌が撒かれるから、それに飛びつく。
どうしてそこに、餌が撒かれているのか、気づかない。

自分で自分に枠を設けていることに気づきません。

マインドコントロールが完了してしまっていると、
ワクチンの必要性を疑うことすらできず、それを考えると
「怖くなってしまう」でしょう。

自動的に反応してしまう。
そうしないと、怖い。

こんなふうに、自分が怖さから目をつぶっていること
すら気づかずに、自動的に反応していることが、沢山あるはずです。