自分の肉体を傷つけても主張する 

「意識」という話をとりあげても、
「意識」は、すぐに形になったり結果につながらないという理由から、
後回しにしている人たちが大半でしょう。

現実をみれば、目の前のことで汲々としているのに、
形にないものに気を取られている暇がない。
そう思うかもしれません。

けれども、実際には、自分の根底の意識から、
自分の言動は始まっています。

勝っていなければ、安心できない。
負けたら悔しいから、
相手に勝つまで執着してやっつけようとするでしょう。

こんな意識が根底にあれば、あらゆるところで、
似たような言動パターンで動きます。

その意識と、その言動パターンを身につけてしまっているので、
他のことをしようにも、最初から、知らなければ、できません。

違った言動パターンを身につけるには、
自覚して改善するためのトレーニングが必要です。

こんなメールをいただきました。
『若年性認知症患者さんをテレビで立て続けに観たのですが、
急に取り憑かれたようにしつこく怒り出す姿に怖さを感じました。

現代の医療では予防法はないとのことですが、
私にはその人達が昔から我慢を溜めた人に見えるのです。

脳の病気のせいで怒っている、
ではなく昔から怒りを溜めていて、
その怒りを正当に出すためにわざわざ病気になった様に見えるのです。

普通の人はかっと怒ったりしたら変な人、と避けられますが、
病気なら仕方がない、と周りも諦めて相手をしてくれるからです。』

まさに、無意識が形になるという、わかりやすい例です。

私たちは、自分の感情を抑えつづけることはできません。

怒りが溜まっていれば、その怒りを解消せんがために、
体内から出そうとします。

それが、カッとなったり、いきなり感情的になったり、
怒鳴ったりという姿です。

もちろん、それで怒りが解消することはありません。
むしろ、
一時的にはすこし「解消されたような気がする」ものの、
逆に、また怒りを生産していることになります。

「毎日の生活に追われていて、自分を振り返る時間なんて、ない」

そんな生活をしている人ほど、
むしろ、自分の意識から見直したほうが、
「生活に追われる」生活から、
抜け出すことができる可能性のほうが、
はるかに高いと言えるでしょう。

どんなに現実の中であがいたとしても、
同じパターンで動いて入れば、状況は変わりません。
むしろ、悪化させていくことになるでしょう。

そうなれば、無意識のところで、
「自分の心や肉体」を傷つけてまでも、自分を主張し始めます。

それをやめていくためにも、
根底の意識を変えることに邁進したほうがいいのです。