自己肯定感レベルが低い人 

意識の根底で、「自分を否定しているのか、肯定しているのか」。
とても大きなテーマですね。

一見、自分を肯定しているかのように見える人たちも
少なくありません。
一般的には、いかにも「私は偉いだろう」
というふうに見える人たちは、根底では自分を否定しています。
否定されてきた、という言い方のほうが、適切かもしれません。
その痛みから、癒やされていません。

そのために、他者中心になって、
他者に「何が何でも、認めさせよう」とします。
もちろん、そんな方法では、同時に、
恐怖も生産されていくので、絶えず緊張を強いられるでしょう。

それでも、そんな生き方しかできません。
自分を肯定する方法を知らないからです。

また、自分を肯定しようにも、
「ポジティブな実感」が乏しいために、
自己肯定感を感じることができません。

相手に「すごい!」と、言われて、
「そうか、やっぱり私はすごいんだ。偉いんだ」
という認識が起こってはじめて、
「そうか。私は、すごいんだ」
といった感じです。

他者が「自分のことをすごいと思っているに違いない」
という想定でしか、自分を肯定することができないのです。

自己肯定感レベルが低い人は、
ポジティブな実感の経験が乏しいだけでなく、
ネガティブな実感も鈍化にさせてしまっているので、
人の心の痛みや喜びにも鈍感です。

人と話をしていても、多くの場合、
自分が一方的に喋ることのほうに意識が向いています。

そのために、人と話をしているとき、
「相手の心の痛みや喜び」を感知することができません。
人によっては、そんなものは
「無駄だ」と認識している人もいるでしょう。
実は、それは「感じられない」というコンプレックスの裏返しです。

自己否定を自己肯定にしていくには、
「ポジティブな実感」が必須です。

ポジティブな実感が乏しい人たちは、
どんなに社会的に成功しているとみられている人であっても、
幸せそうな顔をしていません。

それは「ポジティブな実感」に乏しいからです。

満足する。充実感を覚える。解放感を感じる。
幸せを感じる。ラクでいられる。心が穏やかで、平和でいられる。

こんなポジティブな実感は、
「自己肯定」の中でこそ育つものなのです。