時計屋     Mさん

私「この腕時計の電池が切れたので、
交換していただけますか?」

店員「はい、30分経ちましたら、こちらの
カードをお持ちになって、お越しください」

私「はい、お願いします」

・1時間半後

店員「これ、電圧が一緒でしたので、
電池交換は、必要なかったですね」

私「あ、そうですか。すみません。
ありがとうございました」

店員「また、どうぞ」

いかがでしょうか。

結論から申しますと、この方、
すごく、感じ悪かったです。

この彼の接客後、私は、
とても、気分を害しました。

では、どこが感じ悪かったの
でしょうか。

それは、心がないのです。

全く、気持ちの交流が
できませんでした。

電池の交換だったから、客扱い
されなかったのでしょうか。

まるで、無神経で、こちらのことに
全く、関心がなくて、私のことを何も
感じていませんでした。

人が頼みに来ているのだから、
快く引き受けて欲しいと思うのは、
願い過ぎでしょうか。

何か、彼は、上から言われたことに
我慢して、黙って従ってやっている
だけのように感じました。

他者中心になって、自分を大事にしないと、
相手のことを感じる余裕がなくなるのだなと
思いました。

このように、自分の感じる感度が高いと余計、
悲しくなることがありますが、この感度は、
大事にしていたいと思いました。

そう思うと、今回の彼のことも少し、
慈しむ気持ちになり、心も穏やかに
なりました。

いずれにしましても、もう、私は、
この時計屋に足を運ぶことはありません。

(一言コメント)
文字では伝わりませんが、相手の対応に「心を感じられなかった」
ということですね。

相手に“心がない”と感じるは、私もたびたび体験しています。
でも、今はそんな時代だと思います。

コロナウイルス感染あるいはコロナワクチンの副作用で、
「認知障害」が起こっているというデータがあります。
脳の機能そのものが、低下してしまう。
そんな状況です。

そんな社会傾向もあるので、いっそう「そんな人たちを認める」
ということのほうが大事だと、私は考えています。

相手に期待しすぎると、傷つきます。
相手の生き方を認めると、そのレベルが減ります。

「自分を傷つけないため」のレッスンだと思ってくださればいいな。