マニュアルと求める意識

自分中心には、その概念や、定番となっている公式があります。

けれども、その公式は、一般的なマニュアルとは少々異なります。

カウンセリングやセミナーなどで、ひとしきり話をしたあと、
「では、どうすればいいんでしょうか」
 としばしば尋ねられます。

たったいま、その「どうしたら」を話したつもりでいる私は、
そんな言葉を聞く度に、軽いショックに見舞われます。

話し方が下手だからと言われれば、それまでですが。

でもこの前の取材で、
「後で録音を聞いていると、同じことを何度も質問していて、
その度に、同じことを説明していただいて……。
今回ももしかしたら、同じ事ばかり訊いているのでは、と……」
と申し訳なさそうに言われたときは、少々嬉しくなりました。

それはやっと理解してもらったからというよりも、
思考タイプの人でも、繰り返していけば、
物事を立体的に捉える能力が育つのだと証明してくれたように
感じたからでした。

自分中心は、「自分の感情や気持ちや欲求」を中心に据え、
それを核とします。
そして、思考よりも「感じ方」を重視します。
その感じ方の中には、
五感や、ミラーニューロンが作用するような感じ方も含まれます。
未だ科学的には証明されていないような感じ方もある、
ということも、私の中では明らかです。

物事が立体的に見え始めたということは、
すなわち、感情が育ってきたということをあらわします。

マニュアルを求めがちなのは、主に「思考タイプ」の人たちです。

「思考」を土台にしていると、
デジタル的、平面的な見方しかできないので、
どうしても、立体的なつながりを、すぐに理解することができません。

同じものでも、例えば円筒をみるとき、
視点の違いによって円に見えたり、長方形に見えたりします。

それによって、これは「円筒である」と予測がつくのですが、
思考に囚われていると、そんな立体的な構築が難しくなるために、
円にも四角にも見える物体が、実は「円筒である」とは気づきません。

自分中心は、球体の真ん中にいる、というイメージです。
球体の真ん中にいるから、全方向を見渡せます。

他者中心は、球体の表面に立っているというイメージです。
表面のどこに立っても、全方向を見渡すことはできません。
全体を把握することができません。

表面のすべての位置を制覇したとしても、
それが球体であると気づくことはないでしょう。
臨機応変に、柔軟にという対応ができません。

問題を解決しようにも、自分を守ろうにも、
自分の立ち位置さえ見えていません。
そんな不安や心細さから、つい、マニュアルを求めて
「どうすればいいんでしょうか」と言いたくなってしまうのです。

これが「思考の限界」だと言えるでしょう。
だからこそ、感情や五感を育てる必要があるのです。