未来を否定的、悲観的に予測を立てる人
未来を否定的、悲観的に予測を立てる人ほど、
二股かける意識が強いと言えるかもしれません。
それは、「~しながら」に通じるものもあります。
食べながら、テレビを観るのは、もう当たり前となっています。
電車に乗りながら、景色をみるより、
スマホをいじっている光景もすでに当たり前となっています。
動画がはやり始めたとき、子供の運動会など、
みんながこぞって我が子を撮影していました。
撮影に夢中になっていれば、レンズを通してでしか、
子供を見ることができません。
子供の生の姿を、肉眼で、
自分の目に焼き付けることができないのです。
記録に残しておきたいという親心はわかります。
が、その瞬間の我が子の生の姿を見逃してしまうというのは、
もったいない気もします。
それはともかくも、こんな意識状態でいれば、
心のよりどころがなくなって、不安定になってしまうでしょう。
どちらにも集中できないから、どこにいても、
不安な気持ちに晒されることになるでしょう。
両方の間でゆれてしまうから、「これだ」という確信や自信を
もてない自分が育ってしまうかも知れません。
こんな意識が人間関係に及べば、
一対一で向き合うことができなくなってしまうでしょう。
独りに絞ると不安になるために、
常に受け皿が欲しくなるかもしれません。
相手と一緒にいても、目の前の人よりも、
別の人のことを考えていたり、喫茶店やレストランでは、
別の席に座っている人が気になったりするかもしれません。
ただでさえ他者中心になりやすい社会です。
その上、自分の意識が二つあるいは複数に割れてしまうとしたら、
どんな感覚になるでしょうか。
例えば、自分自身が、どちらにも着地できないから、
自分の存在が、空気のように淡く薄くなってしまいそうな
気もします。
空間に、フワフワと漂っている感覚かもしれません。
生きているという実体がないような気もします。
生きることに意欲がなくなっていったとしても、
それすら気づかなくなってしまうかもしれません。
未来を否定的、悲観的に予測を立ててしまいがちな人は、
自分にこんなパターンがないかどうか、
点検してみてはどうでしょうか。