罰則を設けても良くなるわけがない

社会生活を守るという名目で、ルールや規則や条例や条項が
一つ決まるたびに、それで社会が良くなるわけではないのに、
と思ってしまいます。

日本国憲法では、
「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ」
と定められています。

けれども心理的には、権利という言葉よりも、
働く自由があるという捉え方をしたいし、
働く時期も自由であっていい、と思っています。

仮にそれが義務であっても、それによって生活が保障され、
安定するのであれば、安心のために働きたくなるでしょう。

あるいは、その労働が過酷でなければ、ますます、
働きたくなるでしょう。

犯罪が増えるからといって、規則や罰則を増やせば、
犯罪が少なくなるでしょうか。
みんな、そうでないことは知っているはずです。
それでも、手っ取り早く効果を出すためには「罰則を」
となっているだけでしょう。

根本にある問題に目を向けず、目先のことだけに囚われると、
それを「禁止したり罰則を設けたりする」ことで、
やめさせようとします。

実際のところ、逆にそんな解決方法が、いっそう、
自分たちの首を絞めています。

そもそも、どうして、犯罪が増えるのか。

例えば、その多くが貧困によって引き起こされる犯罪だとしたら、
犯罪を取り締まるよりも、
貧困を解消していく方策をとる必要があるでしょう。

多くの人が、うまくいかないと、自分を責めます。
けれどもそれは、自分の問題であるかもしれないけれども、
社会が健全に機能していないからということも言えるでしょう。

もし社会が健全でないとしたら、
そんな社会に合わせようとしたり、従おうとすればするほど、
ますます自分を追い詰めていくでしょう。

うまくいかないことがあったとしても、
客観的事実として、
社会構造そのものが健全ではないんだと認識すれば、
どうでしょうか。

自分を責めてしまう人ほど、
「なんだ、そもそも社会構造がおかしいんだ。
自分のせいではないんだ。こんな状態になっているのは、
自分が悪いからではないんだ」
こんなふうに言えれば、少し、心が自由になった気がしませんか。

もしこのとき、
「じゃあ、社会に復讐してやる」
という気持ちになってしまうとしたら、それは、
まだまだ自分を否定していて、それに縛られているからでしょう。

自分に関しても、禁止や否定や罰則では、良くならないのです。