「従う」社会での不公平感

この前、驚くような取材を受けました。
こんなルールがはびこっているのかと、びっくりです。
女性の多いある職場では、先輩後輩の序列がはっきりとしていて、
「妊娠する」にも、順番があるというのです。

まるで、「教育勅語」の時代にワープした感覚になりました。
けれども、もしかしたら、実際は、
昔とあまり変わっていなかったのかもしれません。

相撲界やスポーツ界では、暴力やセクハラが、
ハリウッドでは性的虐待が取り沙汰されています。
世界では、とりわけ子供の人身売買が大きな問題となっています。

これまで、実際には横行していたけれども、
誰もそれを口にしなかったということだけなのかもしれません。

確かに、政治家の方々の中には、
国民に主権であることが間違っているのだと公言する人もいます。

モリカケ問題も、一時は、一部の新聞は除いて、
テレビも新聞も報道をしませんでした。
あるいは、焦点をぼやかして、必死に違った方向へと
誘導していたふうにも思えます。

件の話では、決められた順番を守らずに妊娠すると、
冷ややかな目で見られたり、
「どうして勝手にルールを破るのよ」
と叱責されたりするのだそうです。

自分中心の「互いを認め合う」という点からすると、
とんでもない話です。

こんな話をきくと、社会がまるで「自分中心」と
全く反対の方向に進んでいこうとしているように思ってしまいます。

卑近な例で言えば、昔の嫁姑の問題が、こんな感じでした。
それが形を変えて、根を広げている感じです。

こんな前近代的な風潮が復活しつつあるのは、ここ数年で、
生活環境が厳しくなって、その厳しさや貧しさが
加速されてきた結果だと思わずにはいられません。

まさに「貧すれば鈍する」です。

例えば、どうしてそういうルールが生まれたのか。

最も大きな原因は、忙しすぎる、厳し過ぎる、
ということではないでしょうか。

では、忙しいのは、どうしてか。厳しくなりがちなのはどうしてか。

それは実質的な人数が足りないせいではないでしょうか。

同量の仕事をするのに10人必要なところを、
8人で回そうとすれば、厳しくなります。

人数が足りていれば、妊娠した人を祝福することができます。

こんなところでも「従う」ことが、
当たり前になってしまっているのかもしれません。

忙しいのは、当たり前。
残業するのも、当たり前。
仕事が厳しいのも当たり前。

上も下も、こういうふうに信じていれば、
「上」の言うことに従うのが当たり前になってしまうでしょう。

誰が最初に言い出したか。それすらわからずに、
「ルール」だけが一人歩していきます。
その発端は、不平不満や不公平感だったのかもしれません。

もっとも、可能性として、そんな職場や組織では、
だんだんトラブルや争いが増えていくでしょう。
そのために、自分を大事にしたい人は、そこを辞めていくでしょう。

実際に、厳しいルールも含めて、
劣悪な職場では、働く人が定着しません。

自己肯定感の高い人は、
そんな職場は選ばないという選択ができるでしょう。

自己肯定感の高い人たちが増えれば増えるほど、
そういった職場は人が居着かなくなったり経営悪化で、
やがて淘汰されていくでしょう。

どんな状況であっても、それを選んでいるのは、自分です。

ですから、そんな職場を選ばないため、いっそう、
自己肯定感を高めていきましょう。