全く同じ条件でも正反対になる

「いつも家にいて、何もしていないから退屈だ」
を連発する人がいます。

その一方で、まったく同じ条件で家にいる人でも、
「毎日が、楽しくて仕方がない。いまの環境が幸せです」
という人もいます。

その違いは、何でしょうか?

規律で決められた時間、拘束されている時間が減って、
時間的に「自由な時間」が増えたとき、
他者中心の生き方をしている人は、
自分の欲求ややりたいことがないために、今日も明日も明後日も、
来る日も来る日も、その自由が恐ろしく長く退屈な時間となるでしょう。

その時間を、何に費やすか。

何かしていれば、とりあえず、時間をやり過ごすことができます。

現代では、手っ取り早いのは、
iPhoneやスマホをいじることでしょうか?

いまほど便利でなかった昔は、することや、
その日に終えるべきことがたくさんありました。

だから、そのすべきことを終えたとき、一日も終わりました。
退屈だと感じる暇もなかったでしょう。

けれども、そんな人たちに時間ができれば、やっぱり、
「することがなくて、退屈だ」になるのではないでしょうか。

「満足」という点においては、忙しくしていても退屈していても、
どちらも、乏しいでしょう。

「しなければならない」で生きていると、満足感は乏しくなります。

また、「思考」の世界に生きていても、満足感は乏しくなります。

「満足や充実感」を味わうには、五感や感情の感じ方が不可欠です。

多くの人が感情を否定したがります。
それは、ネガティブな感情が多いからではないでしょうか。
感情が悪いわけではないのです。

でも、考えてみてください。

満足感、充実感、幸福感、楽しさ、喜び、心地よさ、嬉しさ。
これらは、すべて、感じることです。
こんなポジティブな感情が一切ないとしたら、
どんな世界になるでしょうか。

殺伐とした、無味乾燥な世界となるでしょう。

時間があると、退屈でたまらない。
時間があっても、何をしていいか、わからない。
一人でいるのが、怖い、寂しい、つまらない。
好きなことが、みつからない。
時間があると、ボーッと過ごして、何もしなかったと、
後で後悔してしまう。
遊園地のアトラクションなど、
外側から与えられた強い激しい刺激がほしくなり、
それがどんどんエスカレートする。
時間があると、ネガティブな思考ばかりしている。

これはすべて「実感が乏しい」という共通点があります。

こんな乏しさから抜け出すには、
自分の「今」に焦点を当てることです。
と同時に、「今」を五感や感情で感じる感度を磨いていく必要が
あるでしょう。

ここに、ヒントが隠れています。

起こっている問題をシンプルに解決する。
自分の願いをもっと簡単に叶える。
自分の人生にとって都合の悪い「信念」を、根本から変える。

その答えも「今」にあります。

大半の人たちが、物事を難しく考え過ぎています。

「今」にどれだけ集中し、それを実感できるか。
自分の人生をポジティブな方向へと軌道修正するには、
これが不可欠です。