何をやってもパターン通りに動いている  

自分の今の言動を、パターンでみると、非常にわかりやすい。
なにをしていても、自分のパターンがそこにあらわれます。

それは大きなことでも小さなことでも関係ありません。
その人が、どんな地位であっても、
社会に大きな影響力を与える人であっても、関係ありません。

自分のパターンなり、他者のパターンなり、そこに着目すれば、
どういう動きをするかはすぐに推測できます。
ですから、未来も推測できます。

どんなに相手が、自分のやったことを取り繕おうとしても、
パターンからみると、見破ることができます。

例えば、責任ある行動をとれる人は、
どんなときでも責任を自覚した行動をとります。
それは、まず最初に、
「責任の範囲」を自分なりに判断して動くことができるからです。

反対に、無責任な人は、何をどうやっても、無責任なことをします。
それは、最初から、「責任をとる」という発想がないからです。
自分がそれを選択することで、
どういうことが起こるかを予測していません。
予測できないということかもしれません。

責任を取るべき場面に遭遇したら、他者に責任転嫁して、
うまく逃げおおせたという経験があるかもしれません。

土台となっている意識からスタートするので、
その言動パターンは、ごまかしがききません。

パターンでみると、予測できることも、本人が、そうでなければ、
気づかないでしょう。

非常にわかりやすいから話題にするのですが、かの安倍元総理は、
世界にお金をばらまいていました。
岸田さんもそうですね。

ここではその有用性については語りませんが、
まさにそれを有効だと思う人がいるとしたら、その見え方が、
自分自身のパターンだと言えるでしょう。だから恐らく、
その底辺にある意識構造は似ているでしょう。

そのお金は、私たちの税金です。
税金ですので、なくなっても、毎年、予算として、
いつでも手に入れることができます。

人の金で「自分の利権を広げている」という見方をすれば、
納得がいきます。

ところで、お金の遣い方は、自分の人となりをあらわします。

人と対等なコミュニケーションをとることができない人は、
お金で人の関心を引こうとします。

相手が善意でやってくれるとは、信じていません。
無償で自分に手伝ってくれるとも、信じていません。

それは、自分の中に「信じる」がないからです。

人が自分のために動くとしたら、何らかの「見返り」や「報酬」が
必要だと思っていて、それが「お金」になっています。

だから、その人の周囲に集まってくるのは、
「お金」に関心がある人たちばかりでしょう。

その人たちも、結局は、
「話し合えない人たち」だということがわかります。

お金を遣わず、かつ「話し合えない人」であれば、
あとは、脅したり、圧力をかけるしかないでしょう。

その結果が、うまくいくか、いかないか、という点においても、
自分の信じている通りの結果となるでしょう。

だから、その結果、成功すると思っている人は、
成功する確率が高いでしょう。
その結果、失敗すると思っている人は、失敗する確率が高いでしょう。

ただ、実は、信じている通りの結果となるというのは、
正確ではありません。

自分の目には「成功した」と見える人は、
客観的な事実としては失敗しているとしても、
失敗しているという事実は見えずに、「成功している」と
見える箇所を拾うでしょう。

誰もが自分に客観性があると信じているかもしれませんが、
この「見え方」や「捉え方」も人それぞれで、最近は、
「どんなに絶対多数の人がそこに“ある”と見えていても、
そこに“ない”と信じている人には、それが見えない」
というぐらい、信じている通りに見えているのだと、
最近はより納得させられます。