悪魔と神の違い

(まあ、コミック感覚で読んでください。)

 ある雑誌から、悪女に関する執筆依頼が来た。その内容については、
発刊されたとき読んでいただくとして、ふと、思ったことがあった。

 悪女というと、妖しいほどに美しく、その美しさを比較すれば、神々
しいほどに美しい聖女と、甲乙つけがたい。
 あとは、主観の問題であるだろう。

 美しい悪女をみるとき、その悪女が、自分にとってこの上もなく素
敵で素晴らしく美しく見えるとしたら、自分の中に、悪女的な要素が
潜んでいるからだといえるだろう。

 悪女がこの上もなく美しいように、悪魔も、この上なく美しい(多
分)。
 その能力はまた、神に匹敵するほどであるだろう。
 神も悪魔もほとんど変わらない。
 差があるとしても、それは、ミクロの差ほどの紙一重であるだろう。
 しかし、その紙一重の差が、「決定的な違い」である。

 映画等で悪魔が登場すると、いつも思う。
 (個人的な体験でも感じる。)
 どうして悪魔は、一人では出来ないんだろう、と。

 神は一人で何でもできる。
 でも悪魔は、一人では何もできない無力な「人間(?)」だ。
 人(雑多の悪霊)を介してからでしか、行動できない。
 自分ひとりではやっていけないと、無意識に信じている。
 つまり誰か他者がいないと存在し得ないのである。

 そのくせ、人を破滅させようとするなどと、矛盾した行動をする。
「自分で自分の首をしめて、どうなるんだ?」
 どんどん人を破滅させて滅ぼしていけば、宇宙を征服したとしても、
結局は一人になってしまうのだから。
 一人になったら、操る相手がいなくなってしまうだろうに。
 などと、思ってしまう。

 悪魔は宇宙で一人だけになってしまうと、何もできない。
 神は、宇宙でひとりになっても、できることがある。
 それは、人を創ることである。

 現実の社会に置き換えると、実際に“悪魔”的な人は、そんな行動
をする。
 人がいないと何もできない。
 相手と一体になろうとするほどに相手を支配し、あるいは依存する。
 その一方で、自分の宿主を破壊しようとする。
 相手との距離が近ければ近いほど、相手を復讐的に傷つけていく。

 そんな悪魔的な人に潰されない(魂を奪われない)ためには、「選
択の責任」を突き付けることである。
(この世の世界も、あの世の世界も同じこと。依存性の強い霊も同じ)
 選択の責任を見極めて、
 その責任を突き付ける。
 あるいは、
 手出しをしない。
 肩代わりしない。
 口を出さない。
 やってあげない。
 そのために「断る」ことである。