不幸なお金持ち 2
「不幸なお金持ちたち」のことを書いた本があった。
その一つに、数万円の損をしたことばかりが気になって嘆く億万長者の例が書いてあった。数万円の損失を嘆いていたら、億万長者でも「不幸」ということの例だった。
それは、お金に限らず、どんな場合でも、プラスのところよりも、マイナスのところに眼が行ってしまう“意識”という点で言えば、決して幸せとは言えないだろう。
私がその本で確認したかったのは、「意識の法則」からそれを見れば、どんな意識の持ち方のほうが「楽にお金持ちになれるのだろうか。あるいは、お金持ちになったら、どうすれば、それを維持できるか」という点だった。
何でもそうだが、「一発で得る」ことはできても、それを維持し続けるのは難しい。
例えば、歌手が一曲ヒットを飛ばす。俳優の一作がヒットする。
それはできても、その後、ヒットし続けるのは難しい、というように。
小さな損失にこだわらないほうが、お金持ちになれる。
小さな損失にこだわったほうが、お金持ちになれる。
厳密には、どちらであっても、答えにならない。
それは「こだわり方の分量で決まる」からである。
その本は、こだわり方(意識)の分量までも書いてない。だから、「金持ちになったら、それを維持する方法」の答えは得られないということを、確認しただけだった。
多くの本が、こんなふうに「その意識の分量」までは、ほとんど書いてない。
だから、ある著者が「金持ちになるための方法」を、
「小さな損失にこだわらないほうが、お金持ちになれる」
そう書いたとしても、
「小さな損失にこだわったほうが、お金持ちになれる」
と書いたとしても、この両方が、正しいとも言えるし、正しくないとも言える、ということだ。
前回の「不幸なお金持ち」について、Mさんから、こんなメールをいただいた。
その数万円の損失が気になる億万長者は億の単位からは小額だと想われる数万円でもとても価値がある、という認識なのではないでしょうか。
モノがある、無いというのと同じでお金は何かと交換するチケットです。
自分の健康だとか、稼ぎ出せる力の方に価値を認めるほどお金にも拘らなくなるようにも思えます。
Mさんがおっしゃるように「お金にこだわらなくなる」というのは、人類のめざすところだろう。
ただ、実際には、とても難しいことだと思う。
ほんとうの意味でお金にこだわらなくなるには、「お金は、自由にどれだけでも得ることもできる」。その能力もあるし、その経験もある。
それでも「お金を得る以上に、価値あるものがある」を知っている。
それらは、「お金を通して体験して、はじめて実感すること」だと思うからだ。
お金にも、自分の意識はちゃんと表れている。
お金の遣い方。まわし方。稼ぎ方。投資の仕方。借金の仕方。お金の額そのもの等々。お金を通して「自分を知ることができる」。
「小さな損失にこだわらないほうが、お金持ちになれる」
これを「お金持ちになる方法」と思う人は、損失よりも、お金を儲けているときに、「その儲ける方法」のほうに、焦点が当たっている。
「小さな損失にこだわったほうが、お金持ちになれる」
これを「お金持ちになる方法」と思う人は、その損失を「どうすれば、儲ける方法にすることができるか」に焦点が当たっている。
実はこれは、どちらも同じことを言っている。
なぜなら、その損失を「どうすれば、儲ける方法にすることができるか」をやっていけば、結局、お金を儲けているときの「儲け方」と同じだと気づくからである。
だから、
お金を得たときの成功パターンを知る。
お金を失ったときの失敗パターンを知る。
失ったときの失敗パターンを、「成功パターン」に変える。
これが、「お金を得ても、一発屋で終わらずに、それを継続させる方法」といえるだろう。
ちょうど、そんなことを考えているとき、小さな出来事が起こった。
それは「どうして小さな損失にこだわるのか」を証明するに足る出来事だった。 (つづく)