自己犠牲を捨てれば金運がアップする

 借金を返せなかったり、借りたお金を返すつもりだったけれども、(恋愛などで)別れてしまって、つい返しそびれてしまった。そんな後悔を抱いて自分を責め続けている人がいます。
 すっかり忘れてしまっていたことなのに、何かのきっかけで、ふとそれが蘇ってきて、胸が痛くなるという人もいます。

 あなたがそんな経験があるとしたら、自分だけを一方的に責めることはありません。
 なぜなら、それは、「お金を貸した人」にも、その責任の一端があるからです。

「困っているというのでお金を貸したのに、返してもらえないのは、私が悪いからというのですか」
「悪い」と言っているわけではありません。

 もちろん、お金を借りたら、返す責任があります。

 ただ、お金を貸した人が、それを自分の課題として捉えるならば、
「お金を貸して、それを返してくれ」と言えない。
 これを「自分の課題」としてほしい、と言いたいのです。

 それを自分の課題として捉えるならば、自分に足りなかったのは、「請求する」という“私を愛する行為”です。
 お金を貸したら、それを返済して貰うことで、その親切は完了します。

 もちろん、お金を貸したときの自分の意識の如何によって違いますので、必ず請求しなさいと言っているわけではありません。
 返済してもらうつもりは微塵もなくて、お金を渡す。心から寄付するつもりでお金を渡す。そのつもりだったら、何の問題もありません。

 重要なのは、自分が「返して欲しいのに、言えない」ことです。

「自己犠牲」的な振る舞いをするというのは、他者の責任を、自ら望んで過剰に責任をとるということです。
 それは、相手からすれば、自分の責任を肩代わりしてくれる人ということになります。
 だから、自己犠牲的な人がお金が入らないのは、当たり前でしょう。

 貸したお金を返してほしい、そんな気持ちを自覚しながら、
「でも、あの人は、いま、大変だから」
 などと自分に言い訳して、それでうやむやにしてしまう。そんな「自己犠牲」的なふるまいをしていませんか。
 
 本当に、自分のことを思うなら、ちゃんと請求してみることです。

 実際に、請求できるようになったら、お金のグレードが上がって、勝手に金運が上がります。
 
 また、それが「責任を果たす」という意味でも、相手のためになります。
 お金を通して育て合うということで言えば、相手の返済能力も加味して、「できる範囲で」ということが大事です。
 もちろん、そのための話し合いも大切でしょう。