争う意識で主張するときは「争い」が目的となっている

 実務教育出版社から、「言いたいことがもっとラクに言える自分になる本」が発刊されています。

 同書の中のメインテーマになっている「自分表現」というのは、自分を大事にするため、自分を愛するために表現することを目的としています。

 ですから、何が何でも自分の主張を通す、相手がそれに従うまで主張する、あるいは、相手と戦って相手を打ち負かすまで議論する、というようなことを目的にしていません。

「それでは、相手の言いなりになるしかないじゃないか」
 そう思うかも知れません。

 けれども、自分中心心理学では、相手と争ってまで主張してしまう状況になるのは、すでに、主張している内容を主張しているのではなく、本当は、「争って主張する」ことそのものが目的となっているという捉え方しています。

 例えば、あなたが相手に対して「自分の主張を通すことができた」としましょう。
 けれども相手は、あなたの主張に心から納得してあなたの主張を受け入れたわけではありません。
 あなたとこれ以上争いたくない。
 どんどん攻撃されるので、だんだん、つらくなってきた。
 自分が我を通してまで主張することでもないという気持ちがする。
 話をしているうちに、あなたの勢いに負けて諦めてしまった。

 もし、相手がこんな気持ちであなたの主張を受け入れたとしたら、相手の気持ちは燻ったままです。仮にあなたの主張を相手が受け入れたとしても、その燻った気持ちは解消するわけではありません。それが、それ以後の「あなたと相手」との関係に影響を与えます。

 もし相手が納得していなければ、相手はあなたに対して、例えば、失敗したりミスをおかしたり、予定通り進まないというふうに、どこかで“仕返し”をするでしょう。
 意図的にする場合もありますが、本人は気づかずにやってしまうこともあります。
 むしろ、無意識のことが多いかも知れません。
 けれども、これが“無意識”なのです。

“仕返し”されれば、あなたは不快になるでしょう。
 つまり、またそこで、主張し合う種が生まれます。

 これを繰り返していけば、「争うことを目的」とした、生産性のない主張が展開していくことになるでしょう。

 子供に対して「言っても言っても、言うことを聞かない」と嘆く親が少なくありません。

 お互いに争うことが目的となっているとしたら、それも、当たり前ですね。

「主張で勝った」としても、相手は言いなりになっていません。
「主張で負けた」ほうとしても、そのときは従うかもしれませんが、その後ずっと、言いなりになるというわけではありません。
 無意識的にも、どこかで“仕返し”するのですから、勝っても負けても、建設的な結果にはならないのです。