すべて分量の問題
努力していても、自分に対して、
「まだ、変わっていない」
というふうに、見えることがあります。
でもむしろ、それは当たり前だと言えるでしょう。
なぜなら、自分の生き方が、そんなに簡単に変わるわけがないからです。
こんなふうに言ってしまうと、身も蓋もないでしょう。
「だったら、努力しても、しようがないじゃないか」
と言いたくなってしまうでしょう。
でも、それも正しいとは言えません。
簡単に言うと、多くの場合、分量の問題です。
例えば、相手に強制されると、黙って従ってしまうという自分のパターンがあるとしましょう。
「小さい頃、自分は親の言いなりになって、何も言えなかった。この前も、自分の主張が通らずに、あきらめてしまった」
という自分がいます。
これだけをみると、「自分は昔から、ちょっとも変わっていないなあ」
と思うでしょう。
けれども、小さい頃、自分は親の言いなりになって、素直に従っていた。
進学も親がすすめる学校にしたが、それを不満に思った。
あるとき、親の言うことに、不満そうな態度をとって叱られ、親の言うことに従った。
次のときは、自分の主張は通らなかったけれども、親と感情的になって言い合ってしまった。
こんなふうに、細かく過去をふりかえってみると、どうでしょうか。
「親の言いなりになって、従ってしまう」というパターンは変わりません。
けれども、少しずつ、自分の心と行動が変化しています。
マクロな見方をすると、自分のパターンは変わっていないように思えるために、
「いくつになっても、変わらないなあ」
と自分を責めたくなってしまうかもしれません。
けれども、ミクロとまでは言いませんが、起こっていることをもう少し細かくみてみると、だんだん、自分の心と行動に変化が生じてきていることに気づくでしょう。
こんなふうに、雑に捉えてしまうと「まったく変わっていない」ように見える中にも、必ず、変化があります。
むしろ、「同じパターン」だからこそ、その中で起こっている「小さな変化」に気づくのです。
自分のパターンを「分量」として捉えて過去と現在を比較してみれば、その分量は必ず変わっているはずです。
そして、その分だけ、成長しているのです。